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ミチフミ龍之介
#ランボー詩集 #中原中也訳
最初の聖体拝受 Ⅰ
それあもう愚劣なものだ、村の教会なぞといふものは
其処に可笑しな村童の十四五人、柱に垢をつけながら
神聖なお説教がぽつりぽつりと話されるのを聴いてゐる、
まこと奇妙な墨染の衣、その下では靴音がごそごそとしてゐる。
あゝそれなのに太陽は木々の葉越しに輝いてゐる、不揃ひな焼絵玻璃(ゑまきがらす)の古ぼけた色を透して輝いてゐる。
石は何時でも母なる大地を呼吸してゐる。
さかりがついて荘重に身顫ひをする野原の中には
泥に塗れた小石の堆積(やま)なぞ見受けるもので、
重つたるい麦畑の近く、赫土の小径の中には
焼きのまはつた小さな木々が立つてゐて、よくみれば青い実をつけ、
黒々とした桑の樹の瘤や、怒気満々たる薔薇の木の瘤、
百年目毎に、例の美事な納屋々々は
水色か、クリーム色の野呂で以て塗換へられる。
ノートル・ダムや藁まみれの聖人像の近傍に
たとへ異様な聖物はごろごろし過ぎてゐようとも、
蠅は旅籠屋や牛小舎に結構な匂ひを漂はし
日の当つた床からは蝋を鱈腹詰め込むのだ。
子供は家に尽さなければならないことで、つまりその
凡々たる世話事や人を愚鈍にする底の仕事に励まにやならぬのだ。
彼等は皮膚がむづむづするのを忘れて戸外(そと)に出る、
皮膚にはキリストの司祭様が今し効験顕著(あらかた)な手をば按かれたのだ。
彼等は司祭様には東屋の蔭濃き屋根を提供する
すると彼等は日焼けした額をば陽に晒させて貰へるといふわけだ。
最初(はじめて)の黒衣よ、どらやきの美しく見ゆる日よ、
ナポレオンの形をしたのや
小判の形をしたの或ひは飾り立てられてジョゼフとマルトが
恋しさ余つて舌を出した絵のあるものや
──科学の御代にも似合はしからうこれらの意匠──
これら僅かのものこそが最初の聖体拝受の思ひ出として彼等の胸に残るもの。
つづく…。


ミチフミ龍之介
#ランボー詩集 #中原中也訳
酔ひどれ船(1)
私は不感な河を下つて行つたのだが、
何時しか私の曳船人等は、私を離れてゐるのであつた、
みれば罵り喚く赤肌人(あかはだびと)等が、
彼等を的にと引ツ捕へ、
色とりどりの棒杭に裸かのままで釘附けてゐた。
私は一行の者、フラマンの小麦や英綿の荷役には
とんと頓着してゐなかつた曳船人等とその騒ぎとが、私を去つてしまつてからは
河は私の思ふまま下らせてくれるのであつた。
私は浪の狂へる中を、さる冬のこと
子供の脳より聾乎(ぼつ)として漂つたことがあつたつけが!
怒濤を繞(めぐ)らす半島と雖(いへど)も
その時程の動乱を蒙(う)けたためしはないのであつた。
嵐は私の海上に於ける警戒ぶりを讃歎した。
浮子(うき)よりももつと軽々私は浪間に躍つてゐた
犠牲者達を永遠にまろばすといふ浪の間に
幾夜ともなく船尾の灯に目の疲れるのも気に懸けず。
子供が食べる酸い林檎よりもしむみりと、
緑の水はわが樅の船体に滲むことだらう
又安酒や嘔吐の汚点(しみ)は、舵も錨も失せた私に
無暗矢鱈に降りかかつた。
その時からだ、私は海の歌に浴した。
星を鏤(ちりば)め乳汁のやうな海の、
生々しくも吃水線は蒼ぐもる、緑の空に見入つてあれば、
折から一人の水死人、思ひ深げに下つてゆく。
其処に忽ち蒼然色(あをーいいろ)は染め出され、おどろしく
またゆるゆると陽のかぎろひのその下(もと)を、
アルコールよりもなほ強く、竪琴よりも渺茫(べうぼう)と、
愛執のにがい茶色も漂つた!
私は知つてゐる稲妻に裂かれる空を竜巻を
打返す浪を潮流を。私は夕べを知つてゐる、
群れ立つ鳩にのぼせたやうな曙光(あけぼの)を、
又人々が見たやうな気のするものを現に見た。
不可思議の畏怖(おそれ)に染みた落日が
紫の長い凝結(こごり)を照らすのは
古代の劇の俳優か、
大浪は遠くにはためき逆巻いてゐる。
私は夢みた、眩いばかり雪降り積つた緑の夜を
接唇は海の上にゆらりゆらりと立昇り、
未聞の生気は循環し
歌ふがやうな燐光は青に黄色にあざやいだ。
私は従つた、幾月も幾月も、ヒステリックな牛小舎に
似た大浪が暗礁を突撃するのに、

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