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ina

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しんどくて年末年始に読む本のこと考えるのが今の楽しみ。前から読みたかった加藤周一が書いた小説は寝かせてあり、デルモア・シュワルツを図書館で予約済み。もう一冊いけるかな〜
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よんよん

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加藤周一の「日本文化における時間と空間」が全然頭に入ってこなくて諦めた。

今日の風呂読者はゲンロンに再チャレンジ
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たくましい人

たくましい人

聞きたいことは信じやすいのです。はっきり言われていなくても、自分が聞きたいと思っていたことを誰かが言えばそれを聞こうとするし、しかも、それを信じやすいのです。聞きたくないと思っている話はなるべく避けて聞こうとしません。あるいは、耳に入ってきてもそれを信じないという形で反応します。
(加藤周一「第2の戦前・今日」2004年)

ーーはっきり言われても都合のいいように解釈してしまうくらいだもんな、人間は。
自分の聞きたくないことを聞く容量は持っておくべきだね。信じなくてもいいけどさ。
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をわか

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同じく丸山眞男は加藤周一との対談で戦争で負けた日本の切り替えの速さに驚いていた訳ですね。負け組根性とナショナリズムの奇妙な関係性です
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たくましい人

たくましい人

人は忘れ得ぬ女たちに、偶然の機会に、出会う、都会で、旅先の寒村で、舞台の上で、劇場の廊下で、何かの仕事の係わりで。そのまま二度と会わぬこともあり、そのときから長いつき合いが始まって、それが終ることもあり、終らずにつづいてゆくとこもある。しかし忘れ得ないのは、あるときの、ある女の、ある表情・姿態・言葉である。それを再び見出すことはできない。(加藤周一『絵のなかの女たち』)
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たくましい人

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理解するとは、分類することである。一人の女が他の女に似ている点に注目する(「スイもアマイもかみわけた」見方は、そうでなければ、成立しないだろう)。あるいは、一人の男がもう一人の男に似ている点に(「男はみんなこういうものだ」)。しかし愛するとは、分類を拒むことである。その女を愛するのは、他の誰にも似ていないから、つまりかけ替えがないからである(「オレとオマエの仲だもの……」)。故に理解の内容は、社会的であって―――社会的でない理解はそもそも成立しない―――、愛の内容は、本来非社会的であり、純粋に私的であり、余人に伝え難い。

しかし恋人たちの感情もゆれ動くだろう。ある時の感情が、次の瞬間に、どう変わってゆくのか、たしかな保証はない。相手の心理を忖度しても然り、自分自身の気分を省みてもなおかつ然り。みずからそこにたしかな持続をもとめ、拠りどころを築き、全く衝動的ではない一聯の行動の動機をそこから抽きだすためには、それが「愛」であるとか「恋」であるとかみずからいうほかない。しかるに「愛」にしても「恋」にしても、何かを名づけ、何かをいうためには、言葉を用いざるをえない。しかるに言葉は決して純粋に私的ではなく、社会的なものである。いうことは、社会化することであり、余人を私的空間に引き込むことである。どうすれば余人に伝え難いことを余人に伝えることができるだろうか。

別の言葉でいえば、非社会的なものの社会化は、いかにして可能であろうか。個別的対象の個別性=かけ替えのなさを、切り捨てて分類するのではなく、それを特殊な時と特殊な場所のなかに固定したまま、安定化し、明確化し、その時と場所を越えての意識に対し―――それが自分自身の意識であろうと、第三者の意識であろうと―――、到達可能なものにするためには、どういう手段を用いることができるだろうか。その手段は芸術的表現である。

(加藤周一『絵のなかの女たち』)
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たくましい人

たくましい人

人は忘れ得ぬ女たちに、偶然の機会に、出会う、都会で、旅先の寒村で、舞台の上で、劇場の廊下で、何かの仕事の係わりで。そのまま二度と会わぬこともあり、そのときから長いつき合いが始まって、それが終ることもあり、終らずにつづいてゆくこともある。しかし忘れ得ないのは、あるときの、ある女の、ある表情・姿態・言葉である。それを再び見出すことはできない。

 再び見出すことができるのは、絵のなかの女たちである。絵のなかでも、街のなかでと同じように、人は偶然に女たちに出会う。しかし絵のなかでは、外部で流れ去る時間が停まっている。10年前に出会った女の姿態は、今もそのまま変わらない、同じ町の、同じ美術館の、同じ部屋の壁の、同じ絵のなかで。

 私はここで、想い出すままに、私が絵のなかで出会った女たちについて、語ろうとした。その眼や指先、その髪や胸や腰、その衣裳や姿勢……その一瞬の表情には、――それは歓びに輝いていたり、不安に怯えていたり、断乎として決意にみちていたり、悲しみにうちひしがれていたりするのだが、――私の知らない女の過去のすべてが凝縮され、当人にさえもわからない未来が影を落としている。私は場面を解釈し、環境を想像し、時代を考え、私が今までに知っていたことの幾分かをそこに見出し、今まで知らなかった何かをそこに発見する。現実の女が、必ず他の女たちに似ていて、しかも決して他のどんな女とも同じではないように。
(加藤周一『絵のなかの女たち』)

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