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楓花(ふうか)
実際にはないのかもしれない。
軽く思考実験をしよう。
もし人工的に赤ん坊を受精段階から作り、
完全な生命維持機能のある真っ暗闇で
完全防音の保育ケースの中で育てたとしたら。
その存在は自己を認識できるだろうか?
人は外の世界の認識による反応から
自己を認識する。
そして作り出された自己はその認識からまた
外の世界を認識する。
人によって世界の見え方が違うのはこの為で、
だからこそ世界は自分を写し出す鏡だ。
そうである以上、壁に見えるそれは
外の世界にあった理想を自己に取り入れただけの
模造品に過ぎず、言葉通り、「無いものねだり」
となる。
理想は自己認識の及ばない世界で繰り返される
虚像に過ぎず、その自己認識も外の反応次第で
形を変えるものであり、そしてその外の営みが
その自己認識と同じ代物であったなら、
それはやはり合わせ鏡に写し出される、
繰り返される虚像であるという回帰的帰結に
辿り着く。
人において特に女性は、この事を本能的に
察知している様で、「自己解決」はそれ故に
度々起こる現象だ。
しかしその理想の虚像が向こうから手を伸ばして
自己認識の及ぶ範囲内に届きそうになった時、
「解るが解らない」という恐怖によって
拒絶反応を示すようになる。
だがどれだけ拒絶しようとも、一旦それが
写し出されれば、その像は延々と繰り返される。
それによって人は悩み、苦しむが、
結局壁はないのだからその苦しみから
解放されるには、その像を受容するしか
方法がない。
そして男性はその受容の点において女性より
幾分か優れている。性質上、そうしなければ
生き残れない存在として産まれてきたからだ。
女性は拒絶し、男性は受容する。
この性質が融合して、変化した外の世界に
対応する新たな個体が生まれる。
そしてまたその個体の反応を見て親も変化する
双方向の螺旋は死が訪れるまで繰り返される。
反応、理解、拒絶と受容を延々と繰り返す。
そこに自由意志なるものは存在しない。
ただただ繰り返される反応と理解の往復は
さながら「踊り」のようであり、
無機質な有機体はその呪縛から逃れられない。
それが端的な形で表されたのが「くねくね」で
あり、それを理解すると狂うという性質は
あながち間違ってはいないのかもしれない。

ゆかり
珈琲飲んだら漸く空腹感が来たけど、直ぐに去る。
おそらく、3年掛けて水浴びで全身の脂肪が燃焼性に変わったせいもあるんだろうなと思った。
でも、ホメオスタシス(生命維持機能)が働くから、多少食べなくても体重は落ちないんだけどね。
体重の問題じゃなくて、皮膚機能正常化が今一番の着目点。
ちょっと画像に出来ないのが残念。
治癒したら、結局自己満足で終わるけど、
絶食が免疫機構を高めることの証明の一つにはなると思う。

税込38円
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