カイジの利根川の労働観って、第一次産業の論理で、第三次産業を語ってる気がして、モヤモヤする。つまり、人間の経済の基盤となる、第一次産業は原理的に、自然界に対する一方的な暴力、それからの有無を言わさぬ、収奪、生殺与奪であり、そこにフェアネスという綺麗事など無いというのは分かる。しかし、第三次産業においては、フェアネスの精神が市場倫理を支配するべきだと思う。なぜならば、第三次産業において、弱肉強食的な詐欺行為が正当化される場合、市場秩序を維持する為に、市場の管理コストが増加する。そうすると、第一次産業段階で自然界から収奪した資源を余分に浪費することになるからだ。