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ばっは

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デヴィッド・リンチの作品には大変影響を受けた。
特に「マルホランド・ドライブ」の背筋が凍るほどの映像体験は、当時映画制作を学んでいた僕を打ちのめした。
きっぱり映画を辞めたのも、それが今の時代に想像し得る(見るまでは想像にすら至らない)映像表現の頂点だと感じたから。
入学初日に教授の「今日からは映画を楽しむことは出来ない、見る角度を変える必要があるから」という言葉はその通りだったのだけれど、唯一そこから解放してくれたのが彼の映画だった。
人間が作り出した救いの宗教や煌びやかな文化、言語の土俵から外れた作品は、数日間僕を震わせた。

「美」の本質は何か。
それは計算された隙のない画面や色彩、滑らかなカメラワーク、倫理や道徳などではなかった。
まるで素人が偶然スマホで撮ったかのような予測不能な動き、薄汚れた画面、グロテスクで澱んだ色彩や人物。
けれど(だからと言ってもいい)燦然と輝く何かが他の映画を凌駕していた。
嫌厭してきた所謂カルト映画とは違い、咀嚼していくと純粋な人間の「美」を描き出した映画であると気がつく。
「エレファント・マン」が終盤で夜の草原を独りどこまでも逃げていく姿には、絶望を痛いほど知覚しながらなお生死を超えた救いを求める心、則ち彼の崩れた容姿の内にある「崇高な魂」を完璧に描き出していた。
アンチテーゼとして描かれる容姿の整った社会的成功者たちは、エレファントマンという「人間の鏡」によって醜悪に映し出された。
明らかに外見至上主義社会を風刺した作品だ。
四半世紀前にリンチが提起した頃と何も変わっていないところを見ると、それは今尚人間を蝕む毒なのだと感じた。

子供に絵画を教えていて感じるのは、原動力は常に自分の内面にあるということ。
大人による上手下手という評価は大抵が表面的な形に対するものであり、社会に溢れる「それら」に従えと教育された価値観だ。
子供の頃誰しもが持っている内なる原動力に目を向け続けること、外の物差しに自分を収めて尊厳を切り売りしないことが、自分なりの「美」を失わずに育てていく上でとても重要なことだと感じている。
そうして守り抜いた心の眼で優れた人間の創造物に触れることが、物事の本質を見抜く力を育てる事になる。
若い頃に画家を目指していたリンチは、外見と異なり純粋で無邪気な人だったに違いないと、僕はこれからも思い続けたい。
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ももんが

ももんが

電話しよって言える友達も今は居ないし、その状況下においても尚人間関係はリセットしたいし。
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さより

さより

まーじでがーちで、音楽の趣味合って

尚人間的にも合う人と巡り会いた過ぎる
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