共感で繋がるSNS
人気
ロタモナ

ロタモナ

道明寺参拝🙏
道明寺って尼寺だったんだ。
この辺り土師氏の拠点だったんだ。
菅原道真公が名付けしてたんだ。
菅原道真公仏像彫れたんだ。
桜餅でしか知らんかった。
近くに桜餅売ってる店なかった🥲
GRAVITY5
GRAVITY23
アメジスト

アメジスト

こんばんは。
承認ありがとうこざいます。
読書記録です。

埴輪は語る
若狭徹 著
ちくま新書

『日本書紀』には、殉死の風習を嘆いた乗仁天皇が、野見宿禰の意見を取り入れて出雲の土部(はじべ)に埴輪を作らせて古墳に置き、人の死に替わらせたする伝説が載っています。
しかしながら本書のp98の解説によると、考古学的には人物埴輪の登場が埴輪の中で最も遅いため、この説は否定的に捉えられており、ホッとしました。
この伝説は、古墳づくりや倭王の喪葬に関わった土師氏の祖先伝承として後付けされたものと考えられているそうです。

埴輪は、古墳の一画に据え置かれた展示物でした。
なかでも人物埴輪は、群像として配置されており、何らかのストーリーが込められていたと考えられます。
それを筆者は、古墳の主である「王」の治世のようすを、「絵巻物のように」ビジュアル化したものだとする説を唱えています。
第1章や第3章で、保渡田八幡塚古墳の埴輪を例に、人物埴輪は、王の祭祀、王の狩猟、王の武威、王の経済力を示したものであると考察されています。
著者は、古墳時代の王は、司祭者であり、武人であり、経済人であったので、王の多様な権能を表すために、様々な群像を配置したと解釈されています。

自然環境の変動は「神の仕業」と信じられていた古代において、地域の王は、民のために神を祀って環境を安定させ、悪神が里に災いをもたらさないように務める使命を帯びていました。
また、農地の実りを保証し、遠来の物資を確保し、最新技術を移入して地域を富ませなければならない宿命を負っていました。
埴輪群像は、この世を去った被葬者のそうした生前の事績を示し、それをみる共同体の人々に認知させるための仕掛けだったというのが、著者の結論となっています。
#読書
#読書感想文
#歴史
#古墳時代
#埴輪
GRAVITY
GRAVITY22
メローノ

メローノ

埼玉県岩槻市にある久伊豆神社です。

約1500年前、出雲族の土師氏が東国移動の際、この地に出雲大社の御祭神、大己貴命を歓請したのが始まりとされています。

昭和13年に朝香宮殿下より孔雀🦚3羽を奉納されたことから、孔雀は神社のシンボルとして、その後も大切に飼育されています。
孔雀🦚は孔雀小屋に入っていました。

帰り際、鳥居の先に電車が見えました[照れる]

#埼玉 #久伊豆神社 #孔雀
#風鈴 #御朱印
GRAVITY27
GRAVITY127
関連検索ワード
おすすめのクリエーター