叔母の葬儀母の義姉にあたり、明るくて遠慮のない人柄で,俺など子供の頃は随分と叱られたものだ。養豚場を営む傍ら、三味線や俳句など、風流な趣味人でもあった。10年以上前に夫たる叔父を亡くし、持病もあって最後は歩行困難となったので介護施設で暮らすことになり、認知症の進行を自覚しつつ94で逝った。仕事や転勤を理由に不義理を決め込んだ俺は、誰かの葬儀でしか顔を合わせなくなったが、最後に会ったのは、思えばその叔父の葬儀だった。ご冥福をとか、安らかにとか、そんな月並みは微塵も浮かばず、ただ子供の頃の懐かしい思い出だけが胸にくる。祖母や従兄弟、友人知人と何人かを見送ってきたが、悲しみに暮れるという経験をせずにいる俺は薄情なようで、今回もまた悲しみなど感じない。ただただ、あんなことがあった、こんなことをした、叔母の怒っている顔、笑っている顔、そんな事どもを思いながら、読経の声に耳を傾けていた。通夜の席より参列者の姿はぐっと減っていて、親族でさえ空席が目立つ。現在の葬儀では、これが当たり前の光景だ。午後、小柄な叔母は骨になり、ますます小さく軽くなった。骨をおさめても骨壷の重さが変わらないと、喪主である従兄弟が呟くのを聞いて、吉村昭さんの傑作短編小説、少女架刑を思い出した。無論、叔母の人生は小説で描かれた少女のそれには似ても似つかない。