本日の一日一捨。ブロックの箱です。中身は収納引き出しに片付けてあり、使っているので箱だけボロボロだし、いちいちこの箱に収納しながら使わないので、捨てました。色々と使い方書いてあるけど、このように活用したことは一度もなく。娘のもう2年も前にやめた幼児教室でもらった教材なのですが、知育として使われることなく、メルちゃんのご飯になったり、おままごとのお料理の具材として使われています笑。ルール通り使わせようと教えると完全拒絶する娘。上の子と違い、ルール遊びが苦手でトランプもボードゲームも全くいうことを聞いてくれないので彼女とはそういう遊びが一切できません。上の子が3歳の時からこういう遊びをさせ、遊んだら片付けることも徹底していたので、細かいパーツやカード類も紛失したことがなかったのですが、娘に関してはどんなに頑張って片付けても、いつも間にか開封しておままごとに使用される。モノポリーの紙幣や土地カードが微塵切りされてざるの中に入っているのを見た時は悲鳴をあげましたが(こうなってはもうゲームできません)、ボードゲームで遊ぶよりそっちの方が興味向いたのでしょう。ただ、切るには不適切なチョイスだったので厳重に注意しましたが。(コピー用紙なら切って良い、と)まぁ私がほったらかしにして育てたせいもあるので、仕方ないのですが。よく考えてみたら、上の子の時は張り切ってかなり小さい頃からすごろくやトランプ、モノポリーも5歳で一緒にやっていましたが、彼もルールのあるものを最初は守って付き合うけれど5分もたたないうちに、オリジナルルールで遊び出す子だった。それを辛抱強く、付き合い尊重しながらも、ルールを教え、ルール遊びをさせてたものの、果たしてそこまでルールにこだわって遊ばせる必要があったのかどうか、いまだにわかりません。それよりも、昔より子供達と一緒にゆっくり遊ぶゆとりを取れていないことの方が悩ましい。そんなことをこの箱を捨てながら考えていました。仕事の納期に追われ、捨て活が箱のみという寂しいものになってしまいましたが、知育に関するちょっとした執着(ルールに従わせなければならないという知能発達へのこだわり)も捨てられたと思えば、大きな断捨離だったかもしれません。