ヒットラーのドイツには特殊なたしなみが広まっていた。知っているものは語らず、知らないものは質問をせず、質問をされても答えない、というたしなみだ。こうして一般のドイツ市民は無知に安住し、その上に殻をかぶせた。ナチズムへの同意に対する無罪証明に、無知を用いたのだ。目、 耳、口を閉じて、目の前で何が起ころうと知ったことではない、だから自分は共犯ではない、 という幻想をつくりあげたのだ。(プリーモ・レーヴィ 『これが人間か』(Se questo è un uomo)ーー旧邦題『アウシュヴィッツは終わらない――あるイタリア人生存者の考察』)