人気

#朗読の行方(ゆくえ)
質問募集中!
私に質問してくださいね。
昨夜は唐突な長文でしたが
ありがとうございました
なにということもありませんが
最近は星の交信でも
お題を貰ったりしています
置いておきますので
お題などありましたら
短歌で御礼をさせてください
5月に朗読した
「あらしのよるに」は
まさに自分の中では
生物に人の倫理を持ってきたお話でした
狼か羊を食べずに友情を選ぶ事が
約束されたハッピーエンドであること
その結末がわかっていて
本当はそれはグロテスクな事だと
言いたいけど
意見よりも
共感の方が優先される世界では
それを口にする事自体が
ナンセンスだということ
そういうことをひっくるめて
朗読の感想は連作の短歌で出した
気がします
あの朗読をしている間中
頭の中を何度も
カメイ美術館がよぎっていました
そんな、ひとつの
与太話というわけでした


#朗読の行方(ゆくえ)
カメイ美術館の話に戻ろう
宇宙賛歌は蝶の種類として100種
羽の数は7000枚使われている
とある長崎のカトリック神父が
一週間かけて制作し
亀井氏に寄贈したものだそうだが
これを7000の蝶の大虐殺と見るか
薄気味悪い昆虫の死骸の塊と見るか
あるいは恐ろしくも美しいアートと見るか
生物学への偉大な貢献と見るか
いろんな考え方があるはずだ
一方で
蝶そのものの短い一生を考えれば
生物学にこの収集された標本が貢献した事で
明らかに前進した学問と理解がある
曖昧に生命の尊さを
抽象的に提唱するよりも遥かに建設的だ
カメイ美術館の壁一面に飾られた
蝶の標本は、孫うことなき
数千の蝶の死体であり
採取という名の虐殺であり
それを飾ってしげしげと眺める僕らは
薄気味悪い死体愛好家だ
僕らはその事実から逃げられないんだと思う
どう足掻いても、この生物界の頂点に
望まざるとも遺伝子の闘争の結果として
立ってしまった僕らの業 Karmaなんだろう
どれほど動物愛護や生命保全を唱えても
本質的にそれは人間の存続を前提としていて
不都合ならばマラリアを媒介する蚊を
ビルゲイツが撲滅しようとしているように
種そのものを根絶やしにする事を
僕らは一切厭わない
電灯を太陽と勘違いして群がる虫に
どれだけ心を感情移入しようが
そんなものは安い自己陶酔で
僕らが遺伝子に抱えた業は消えない
犬や猫や鳥のような愛玩動物に対するように
食育動物に対して感情移入できないし
愛玩動物を護ろうとすること自体が
人間の意識は恣意的に
区切られている事の証明だ
だからどれだけ仏教的世界観で
あらゆる命の尊さを唱えても
あるいはヴィーガン論争も
あるいは世界平和すらも
どこか偽善的に思えてしまうのではないか
結局、最後は自分が持っている力や
引きずって行くことになる業そのものに
正直に向き合って
その責任を引き受け、自覚する事でしか
僕らはあらゆる生物に対して
真正面に立つことはできないのではないか
そういう傲慢な人間自身を
自覚して責任を持つ事ではじめて
愛玩する事を許されるのではないか
そう自分は信じていて
それが私のおそらく宗教なのだ
そんなことを正面から突きつけるのが
このカメイ美術館なのだと思った

then and now

#朗読の行方(ゆくえ)
どうやって説明したか
おぼろげだが
思い返す限りで書いてみる
人間はどういうわけか
セミの生にも蝶の生にも
簡単に介入できてしまう力を持っていて
そしてどういうわけか
それが許されてしまう
僕たちは一人の赤ん坊の命を奪えば
重罪になるが、蝶の命を奪っても
重罪にはならない
目の前にいる虫をみたとき
僕らはそれを
“生理的に気持ち悪いから”
排除する権利を持っていて
それはセミだろうが同じだ
僕らは蝶やセミを見たとき
それを美しいと思う権利もあり
気持ち悪いと思う権利も
両方持っていて
それが生態系のバランスを崩して
人間に害を及ぼすという前提さえ
崩さなければ
どういう風にしてもいい
地域によっては
昆虫を食べるところもあれば
犬や猫を食用とするところもあり
僕らはそのひとつひとつの文化を
狂っているという権利はなにひとつない
だとすれば
恐らく「セミがかわいそうだ」と思う事は
多分、宗教に近い
何を良いと自分で信じているかと
本質的には変わらない
そして宗教は古今東西
あらゆる争いの元になってきた
「あなたは今、異なる宗教の間で
信仰の話をしようとしている
それを押し付けて善悪の話をする限り
永遠に平行線だから
あなたも納得しないし
相手も納得しないし
宗教の話なので、炎上をする
起きているのはそういう事と思う」
私はそういう風に説明をした
そして最後にこう綴じた
「セミをかわいそうだと思った
その感性を恥じることはないと思う
結果はどうあれ、そう感じた事に
正しいも間違いもない
ただ同じくらい、相手の信じる所にも
正しさがあって、この議論はそこが不毛だ
あなたは誰を非難することもなく
これからも昆虫をあなたのやり方で
愛して大切にすればいいし
そこに他人なんか関係ないのではないか」
やがて私は彼にブロックをされた事に気づく
祝 はじめてのブロック、実績解除だ
意見というやつはなんとも取り扱いが難しい
共感こそが重要で
意見というものはSNSで一切需要がないと
このときぼんやり悟った
間違っていたのはどうやら私の方だった

willow hill
関連検索ワード
おすすめのクリエーター