岸辺🏝の100冊 # 7-4#読書の星 #音楽本 ☆『「ヒットソング」の作りかた 大滝詠一と日本ポップスの開拓者たち』 / 牧村憲一 NHK出版新書 2016 第一刷 前回から大分間があいてしまったが、又ぼちぼち再開してゆきたい。前回はシュガーベイブのとこまでだったから今回はその続き。山下達郎がいかに才能があるかについて牧村氏が語った所で終わってしまった。 大滝詠一にしろ山下達郎にしろデビュー当時はレコードだけではとても、生活してはいけなかった状況だったので、CMソングライターとして彼等の音楽キャリアが始まったのである。 シュガーベイブが大滝詠一の知る所となるエピソードに高円寺ムーヴィンというロック喫茶で伊藤銀次が山下達郎のインディーズアルバム『ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY』を聴いてビーチボーイズのカバーを山下が器用に唄いこなしているのに感心して、福生に帰って大滝に報告したというストーリーが語り草となっているが、この本の中で牧村はその辺の事情をかなり具体的に且つ欠落している未確認情報を綴っている。更に、大滝詠一のナイアガラプロジェクトの第三弾であるアルバム『NIAGARA TRIANGLE Vol.1』についても当初は山下達郎はメンバーではなくセンチメンタルシティロマンスの告井延隆と伊藤銀次、大滝詠一のトライアングルで計画されていた事を克明に記している。そして何故告井から山下に変わったのかが、ここには書いてあるし当時の大滝詠一を巡る人脈相関図がはっきりと記されている。又、シュガーベイブ結成のキッカケも現在四ツ谷にある老舗ジャズ喫茶『いーぐる』が『ディスクチャート』と言っていた時分にそこであったことが、証言され、大貫妙子やドラマーの野口明彦らの人脈により結成されてゆく様がさらっと綴られていた。そしてその項に書かれていた一言は「物事はすべてリンクしている」であった。偶然に思えた高円寺ムーヴィンでの伊藤銀次のリスニングも仕組まれていた必然だったし、矢野誠が大貫妙子をディスクチャートに連れて行かなければ、山下達郎との出会いはもっと遅く、シュガーベイブは又別の形になっていたかも知れない。人の出会いにはそうした或る必然があるのである。つづく…。