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太郎さん

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詩のいのち

詩においてとても重要なことが記されているので、ここに抜き出しておく。

 唐の馮贄の「雲仙雑記」に次のような話が見える。杜甫からややのちの中唐の詩人張籍は、杜甫の詩集を焼いて灰となし、その灰に蜜をまぜて飲み、「わが肝腸をして、これより改易せしめよ。」といったという。この話はもちろん伝説であって、その真偽のほどは確かではないが、しかしそれは、杜甫以後の詩人がいかに深く杜甫を敬慕したかを、その最も早い時期において象徴的にもの語るものの一つである。
 杜甫が、中国の詩の歴史を通じて、もっともすぐれた詩人であるということは、おおかたの批評家の一致した意見である。後世、杜甫と併称される詩人に、杜甫の親友であった李白があるが、二人は併称されながらも、けっきょく杜甫の方に高い地位が与えられるのが、普通である。感情の強烈さにおいて、空想の豊富さにおいて、李白はあるいは杜甫より上であるかも知れない。しかし表現の的確さにおいて、言葉の緻密さにおいて、そして何よりも人生に対する誠実さにおいて、李白は杜甫に一歩も二歩も譲らなければなるまい。
 人生への誠実──それこそは、杜甫の文学をその根源において成立せしめる原動力であったのだ。中国の伝統である「人間は、人間の世界にあるかぎり、人間に対して誠実でなければならぬ。」というヒューマニズムの精神は、この詩人のなかにあっては、他のいかなる詩人におけるよりも、はるかに強烈にはたらいているのである。いいかえるならば、孔子にはじまる中国ヒューマニズムの伝統は、この詩人の文学において、もっとも美しい結晶をとげたということができるであろう。杜甫が後世の人々から「詩聖」の名をもって呼ばれるのは、単にその詩的技術の完璧さによってのみのことではない。

『杜甫 上』(黒川洋一注 編集・校閲 吉川幸次郎 小川環樹 中国詩人選集9岩波書店 解説一)。[傍点=引用者]。

大切なところは傍点によって強調しておいた。すなわち「表現の的確さ」、「言葉の緻密さ」、「人生に対する誠実さ」=「人間は、人間の世界にあるかぎり、人間に対して誠実でなければならぬ」。これ以上何かを語れば蛇足になるだろう。われわれそれぞれが愛する詩人はおそらくこの三点に長けているはずである。
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