昨日は本屋に行って欲しかった本買えた。生命の木訳 伊泉龍二占星術もタロットもカバラ思想が根本な感じ。易経の根本が陰陽理論みたいに。西洋では魔術、魔法使い東洋では仙道、仙人不思議な力を身につける方法。とか言う怪しいものじゃなくて、どちらも心の世界の探求。ほとんどの人は周りの出来事にパターン化された反応をして生活している。周りに振り回されて、喜んで悲しんで楽しんで怒ってる。よく聞く言葉。「目覚めよ!!」心は自分のものやから、周りの事にどう反応するのかは自分で選べる。でも、多くの人は周りの出来事に振り回されて、パターン化された反応をしてきるだけ。ホンマは自分でコントロールできるのに振り回されてる。それはまるで寝ている、寝ぼけてるみたいに見える。おい!目を覚ませ!!自分でコントロールできるんやで!!!よく修行した人をアデプトとか言う。達人、目を覚ました人。訳もわからず周りの出来事に振り回されて生活するのと、自分でどう反応するのか決めて生活していくのとでは全く違う。振り回されて生活する方は何でもかんでも周りのせいで自分には責任はない、しょうがない、という生き方。ある意味、幸せなのかもしれない。目覚めた生き方は全てが自分の責任。自分で選んでるから。ある意味辛いかもしれない。でも、前向きに自分で色々とやっていけて、面白い。生きていく上での考え方とか信念。心の使い方。魔術、仙道、不思議な魔法とか技を使うんじゃない。考え方とか心の勉強。それができたから、苦悩が泡のように消え去るわけじゃない。自分の思い通りに願いが叶うわけじゃない。困難が取り除かれて良い事計り起こるわけじゃない。自分に都合のいいようになるんじゃなくて、色んな事が起こるけど、どう考えて、どう生活していくのか?って事。だから、別段怪しいものじゃないと思う。易経もタロットも陰陽理論もカバラ思想も魔術も仙道も、自然の中でより良く生きていくためにはどうしたら良いのか?周りに振り回されて周りのせいにして生きるのか?すべて自分で選択して自分の責任で生きるのか?