私の育ての親である祖父の兄は本当に美男で、港区某所の写真館のモデルもやっていた。祖母の初恋の相手だった。出兵してシベリアに送られた。間もなく空っぽの箱で帰宅した。ボロボロの軍手帳?しか遺品は返って来なかった。ずっと後に、新聞に掲載されたシベリアで亡くなった一覧に名前が載っていた。祖父母はそれに丸をして大事に取っておいてあったので、今でも我が家の仏壇にモデル時代の写真と軍手帳とともに置いてある。祖父は次男だったけど、病気がちで兵隊にならずに済んだ。祖父の妹は栄養失調で亡くなった。祖父の家庭は洋犬を飼い洋食を嗜み、洋文化を愛し、当時とてもハイカラで使用人が10人以上いるような裕福なレストラン経営をする家庭だった。4人兄妹だったけど、終戦時に祖父は母と弟1人の3人家族になった。祖母は対照的に貧乏子沢山の家庭で、それはもう兄弟が多く7人?8人?兄弟がやはり終戦時には2人姉妹になった。祖母は自分の家族の話をほとんどしたがらなかった。ただ家庭環境が悪くひもじくいつも空腹だったが、時々祖父の父にこっそり(洋食を禁止されていた?中蝋燭の灯りを頼りに)とんかつ等当時の洋食を食べさせてもらっていたという話をよくしてくれた。終戦後、祖父は幼なじみの祖母と大恋愛の末結婚し洋食屋を開き、二人仲良く大往生した。少しでも何かが違っていたら私はこの世にいなかったんだなぁ、と戦争の話題が多くなる度に感じる。①②は祖父の兄③は祖父④⑤は祖父の家族⑥⑦は祖父の父