人前で話す時に思い出す言葉悩みの原因になっている事柄がいかにつまらないかを悟ることで、ずいぶんたくさんの心配ごとを減らすことができる。ひところ、私はかなり何度も講演をしたものだ。最初は、どこの聴衆もひどくこわかった。そして、あがっているため、なんともまずいしやべり方しかできなかった。私は、この厳しい試練をひどく恐れたので、いつも購講演をする前に足の一本も折れてくれればいい、と思ったほどだった。そして、講演が終わるど、神経の緊張でくたくたに疲れはてていた。だんだん私は、上手にしゃべろうと下手にしゃべろうと、どうってことはない、どのみち宇宙に大きな変化はない、と感じるように自分に教えこんだ。しゃべり方が上手でも下手でも気にしなければしないほど、ますます下手にしゃべることが少なくなるのに気がついた。そして、徐々に神経の緊張が少なくなって、ほとんど消滅するくらいまでになった。たくさんの神経の疲れも、こういうやり方で処理することができる。私たちのすることは、私たちが当然考えているほど重要なものではない。成功も失敗も、結局、あまり大したことではない。大きな悲しみだって乗り越えることができる。これで一生涯、幸福に終止符を打つにちがいないと思われるような悩みごとも、時がたつにつれて薄らいで、ついには、その痛切さを思い出すことさえほとんどできなくなる。しかし、こうした自己中心的な考えのほかにもおのれの自我など決して世界の大きな部分ではない、という事実がある。自己を超越するものに思考と希望を集中できる人は、人生の普通の悩みごとの中に、こちこちのエゴイストには望むべくもない、ある種の安らぎを見いだすことができるのである。バートランド•ラッセル 『幸福論』