朝刊の読者投稿欄に、大学教授が通称アベノマスクに係る調達契約関係文書の開示を国に求めた訴訟における厚労省職員の反応について閉口したとの意見が掲載されていた。調達担当職員らは、関連文書について「見たことがない」と口を揃えたという。また、統括した厚労省職員は、「チーム内の意思決定は口頭だった」「結果責任を果たすためにもプロセスに時間を割く余裕はなかった」と述べたという。少なくとも、後者職員の弁については、半分は正しいのだろうと思う。現場の最前線でそういう側面があったであろうことは、否めない。しかし、そのことによって後日生じるであろう問題を彼らが知らぬはずがない。要は、確信犯なのだ。私は今、一次資料ではなく、投稿記事の引用に基づき私見を述べている。従って、事実を必ずしも正確に押さえた上での意見ではない。しかし、本件においては、少なくともいくつかの階層において、処分を受けねばならぬ者がいて然るべきだ。現場の担当職員、直属の上司、所属長、そして、担当職場に無理を強いた事務方のトップ、更にそもそもの命令を下した担当大臣。もっとも、これらの最終責任は、総理であった安倍晋三氏にある。話を戻す。現場の担当職員らが、「関連文書は見たことがない」と答えていることについては、私はこの関連文書なるものの定義次第では、否定されうる回答になると考える。彼らが意思決定の伺いを起こさなかったとしても、物品を調達すれば、納品、請求関連の文書は業者側から提出を受けるはずだ。いくらなんでも、それらまで目にしたことがないはずはなかろう。400億円にも上る調達であれば、決裁権者も相当上の職責の者になるのではないか。それらを全てすっ飛ばして現場で処理をした。その言葉を真に受けるならば、これまた相当大きな処分を受ける事案になるはずだ。いくら何でも、その程度のことぐらい予想できなかったわけではあるまい。その処分を受けたとしても、まだその方がマシだと思える重いものが片方の天秤皿に乗っていた。そう考えるのが自然だろう。「本件については、『見たことがない』という見解でいくぞ」。そう口裏を合わせることぐらい、わけない。それだけのプレッシャーが現場にはかかっていた。そして、それは今も変わらないと。そんなことをしたら割に合わないと思うだけの厳罰が必要だと思う。