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エブリン・ワン
不可解性から何かを読み解く思考遊び2
【ジョイの視点】ジョイの才能は自在にマルチユニバースの行き来を可能にした。1人勝ち続け神のように崇められた世界を繰り返し生き続けた結果のベーグル。勝ちも成功もあらゆるものが意味を無くし自身を含む全てを無に帰す選択に至る。仏教の悟りとは「全てが等価」であると考えられる境地に至る事であるが、これは自分の家族と道端の石が同じ価値と言う事であり、欲も争いも悲しみも生まない代わりに人間でなくなる事を意味する。
エブリンとジョイは石や人形になってもコミュニケーションが可能である限り戦いや拒絶が生まれた。娘ではなく実験の道具としての価値を見出されたジョイは、損得ではなくただ存在することで必要とされる事を望んでいた。
【他人と世界を共有する】エブリンが「ジョイに彼女がいること」を父親に告げたのは、自身が固有の評価関数になったことの表れであるが、ここでもジョイはエブリンの意思表示の道具として扱われている事に怒りを覚える。ジョイが聴きたかったのは、その事実を告げることではなく「わたしは同性愛者である娘のジョイを愛している」であったはずである。
エブリンはマルチユニバースの中で現実世界を共に生きている様々な人々との別の出会い方の可能性を通じてその人たちと同じ時間を共有し彼らを部分的または深く理解する。そのことが現実世界に戻った時にも彼らと同じ世界を生きている思う事を可能にする。しかし娘のジョイだけはどのユニバースでも敵として存在し、現実世界でも形式的には家族であるが、最後のギリギリの瞬間まで別世界を生きているようであった。


エブリン・ワン
【映画の全体像】
•個人は固有の評価関数である。X*個人=Y
•ある事柄(X)が特定の個人(評価関数)を通して選択と結果、そして評価を生む(これらアウトプットの全てがY)
・固有の評価関数が複数存在するとバッティングが起こる。
・他者が存在しコミュニケーションが発生すると同調、受け入れ、対立が生まれる。
・評価関数は一定でなく様々な条件(理解・部分情報による誤解、立場、時間、状況、愛、憎しみ、恨み等の感情など)により変化する
・他者の理解からなる受け入れは全体としてより良いYを生む
【エブリンの視点】「こうすれば良かった」の逆方向への選択肢を続けた「望まない最悪の結果」の中にいるエブリンは、無数の分岐点が生んだ、ここよりは良かったであろう選択肢の世界、マルチバースで様々な自分とその周辺世界を体験する。強く憧れ引き込まれた自身が映画女優の世界、成功者然としたウェイモンドから「君とランドリーと税金の生活をしたかった」と言われとことで、現実世界の評価が変わる。また自分の選択は父親の評価の中にあったことに気づき、固有の自我としての選択に目覚める。


エブリン・ワン
不可解性から自分なりのテーマを紡ぐ思考遊び⑥
◾️ホンモノの先にあるもの
実用性が全くない文学が存在し得る本質は、文学が人々を予測可能な満たされた監獄から予測不能な不可解性の自由な世界へ呼び込むことにあって、感覚的な領域で自分に絡んでくるものに強引にしがみつき展開することが芸術的な営みであり結果としてテーマが滲み出てくるのが文学作品である。(安部公房講演会より)
全てを情報化・予測可能化して登録しようとする波に抵抗する事を究極的に行うとどうなるのか。
『箱男』はこの問いへの文学的解答であり、映画は「この世を去るか箱男になるか」という選択肢を示している。世界と完全に切り離された存在になるには他に同じように世界から出るものが現れてはならなず自分だけが世界から出ている必要がある。ノートへの記録が象徴する「世界の観察者」としての立場は自身の観察行動が対象(全体世界)に影響を与えないことで完全に世界と切り離された状態を獲得できる。
自分以外の全てと関係を断ち切り完全に世界から離脱できた「ホンモノ」の自分とはどのような存在なのか。それを定義するには自己の対象化が必要になるが観察者としての自己と観察対象としての自己は分断可能なのか?対象化している自分を対象化している自分を対象化している自分という無限のループが始まる。
自我を玉ねぎの皮のように剥いても何も出てこないのは、自我が評価関数であり何かを受け取ったときにどんなアウトプットを出すか、その時の固有性を指すからである。自分が何者かという答えは周囲の関係性なしには導きえないものである。その意味ではホンモノとは何者でもありうるが何者でもない。

エブリン・ワン
◾️巧とハナの一方通行な関係性(2/2)
一方でハナは森林を上を向いたまま前に進む。「上」は死別した母親の居場所を暗示している。怪我をして死んだ子鹿の死体、手負の親子鹿。未開地を周囲の危険に無防備に上を向き歩くハナもまた「死」に無自覚に無防備になっている。子供特有の死に無防備であるからこそ開かれて、言葉や社会記号では捉えたり表現することができない社会システムや経済の論理の外の「世界」を感じる感覚を獲得できる限られた期間。空間ではなく場所を生きる開拓民にとってのその大切さを知っているからこそ、巧はハナが未開地に入ることを止める事はない。
意識科学の世界では、世界をすべて把握する事は不可能で、自己とは1個人の自己現象(体験からなる世界構築)である。個人個人がそれぞれの世界認識を持ちどのような世界認識を持つかを評価関数的に決めるのが自我である。そのため人の数だけ「世界」が存在しそれぞれ違う世界で生きていると言える。
予測符号化理論によって自然のちょっとした兆しから危機を察知し自らを守るためには、意識の自由エネルギー最小化(いちいち目の前の事実を確認する前に経験からなるコード(行動の型)によって予測し回避行動や狩行動を開始する)を獲得するための未開の地での危険な体験の積み重ねが不可避である。巧の妻はそれがなかった事で死んだのであれば娘のハナにその力をつけたいという強い動機が理解できる。
後ろと上。互いに異なる方向を向く2人。ただ、巧がハナを背負って未開地を歩く時だけは、2人は同じ世界に入り前を向いて歩く。
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