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ふぅ

ふぅ

スマホのホルダがいっぱいで、
要らない写真を削除していたら、
懐かしい作文が!

長男が小4に書いた作文。
当時、何だか凄く胸が締め付けられたんだ。

【難病と戦うお父さん】
僕のお父さんは僕が生まれて直ぐに、難病になりました。2012年の時点で日本には難病と言われる病気は130種類ありますがその中の1つです。病気の名前は「原発性硬化性胆管炎」です。10万人に一人がなってしまうと言われている病気です。とても珍しい病気で、お医者さんですら知らない人が多い病気です。最初は近くの病院に運ばれて、何日も入院して検査をしました。だけど、何日経っても原因も病名もわかりませんでした。このままではどうする事も出来ないと、大学病院に転院する事になりました。大学病院でも毎日入院しながら、検査だったそうです。何日もかかって、やっと病名がわかりました。
お父さんの病気「原発性硬化性胆管炎」は胆管が細くなってしまい、胆汁という体を流れる汁が詰まってしまう病気です。そのせいで、肝硬変や肝不全になってしまいます。今の医学では病気の原因や治療方法なども、解らないそうです。少しでも長く生きるためには肝臓移植しか無いそうです。肝臓移植は「日本臓器移植ネットワーク」と言う所に登録しなければなりません。その為に今 色々な審査をしている所です。お父さんの病気はとても、珍しい病気で、病気についての研究もあまりされていないようです。『他の有名な難病は沢山研究されているのに…』僕は悔しいです。だから、僕はお父さんの病気の事を作文に書こうと思いました。少しでも沢山の人にお父さんの病気を知ってもらえたら嬉しいです。なぜなら、もしかして、治療法や原因が解るようになるかもしれないし、誰かが何かをしてくれるかもしれないからです。僕はまだ、子供で何も出来ないから、だから、作文に書こうと思いました。お父さんはお医者さんに『自分が死んだ時自分の体を研究する為に使って下さい。少しでも自分と同じ病気の人の為になるように、使える所は全て利用して下さい』と伝えています。そして、自分がいつか、誰かから肝臓を貰うかもしれないから、自分も誰かの為になれる様にと「臓器提供意思表示カード」を持ち歩いています。その気持ちもお医者さんに伝えているそうです。僕はそんなお父さんが凄いと思うし、強いと思いました。『僕にも出来ることがあればいいのに』
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のーてんき(ISFP

のーてんき(ISFP

臓器提供意思表示のタトゥー入れようか悩み中。。。
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めめ

めめ

クソみたいな人間生きなくていいから、生きようとしてる人を助けたい。


っていう身勝手な考えで臓器提供したいって毎日思ってる。


募金みたいに、気軽に出来たらいいのに
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なな

なな

死にたがりの私が骨髄ドナー登録してきた
存在価値に疑問しか無かった私が初めて存在していい理由を見つけられたような気がした
死んでもいいように臓器提供もきちんとやろうと思っている
私が生きていていいって
本当に誰かの役に立てるかもしれない
生きていた事が少しでも価値のあるものになるかもしれない
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モネ

モネ

免許証の裏の臓器提供欄サインてどれくらいの人がしてるんだろう。
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迷えるデブ羊

迷えるデブ羊

自分が死んだら臓器提供すぐしてくれ!!って思うけど、家族が死んだらすぐに臓器提供してくれ!!
言えないなー

って急に思うようになった。

病んでるのか俺は
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るるる

るるる

思うところがあって、書き留めておきたいなと思いました。ちょっと長いです。コメントに続けます。


美容外科の医師が、献体の前でピースした写真をSNSにアップして炎上しているそうです。
献体や臓器提供をしたくなくなったと言っている方が少なからずいるようで…。私の体験が少しでも参考になったら嬉しいです。
※ そもそも、献体と臓器提供は別物。
※ 私の体験は母の臓器提供の話。


くも膜下で倒れた母の最後の言葉は臓器提供の意思表示でした。


当時、母は49歳、私は25歳でした。
今思えば未熟で大人になりきれない自分に葛藤を抱えてもがいている頃だったと思います。

仕事中、昼前に突然弟からの電話。
「母ちゃん倒れた。これはあかんかもしれんけん覚悟してくれ。今すぐ帰って来れるか?」だった。

東京で働いており、実家は徳島です。
パニックのままタクシーに飛び乗り、震えが止まらず携帯の操作もままならなかったのを覚えています。
病院にたどり着いた頃には日が暮れていました。

ICUで横たわる母は一次的に意識を取り戻しており、私の顔を見て謝り、ドナーカードを自宅から持ってくるように言いました。

これが最後の会話になるなんて思わず、恐怖が勝り「そんな不吉なこと言わんといて」とサラッと流してしまったことを今でも後悔しています。

手術は成功したものの、脳の腫れが治らず、脳梗塞を併発して脳死の可能性が高く、あとは本人の体力次第だと告げられたのはそれから3日後でした。

臓器提供の意思を担当医に伝え、コーディネーターさんを呼んでいただきました。
まだこの時点では少し迷いがあったと思います。

母の最後の言葉を尊重すべきなのか、いざ本当に死を目の前にした母の気持ちは変わらないのか。
怖いに決まっている。

これ以上怖い思いや痛い思いをさせたくない。
母の体を切り刻まれるなんて耐えられない。

母の死と向き合わなくてはならない中、臓器提供のこと、親戚筋への連絡、父、弟妹のケア、実家のことや持って帰ってきた仕事。
頭の中はめちゃくちゃでした。

そんな中、コーディネーターさんの存在が心強かったです。本当にいつでも辞めて良いと言われました。手術の1秒前でも辞めてくれと言えば中止してくださると。
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