人気

あき
8歳の夏、長らく入院していた母が家に帰ってきました。思考のカケラもないサルだった私は病気がましになったのだと思いました。
夏休み中の夜、母が暴れ回るくらい苦しみだし、父が救急車を呼びました。当時住んでいたのは文化住宅の密集地、けたたましいサイレンの音で、近所中の人が外に出てきました。担架で母は運ばれていきます。救急隊員の方が
「お母さんの手を握ってあげて」
近所のおばちゃん、友達がみんな見ていました。緊迫感を感じていなかった私は、なんか映画みたいで恥ずかしくて母の手を握りませんでした。その数時間後に母は亡くなりました。
私は母に謝りたくて
“ママごめんなさい、僕の声が聞こえたら何でもいいので合図して”
毎晩毎晩祈りました。
ふとした瞬間、あの救急隊員の「お母さんの手を握ってあげて」の声が頭の中にフラッシュバックして、心臓がキューっと締めつけられました。この心臓の痛みに何年も何年も苦しめられました。
何年も何年も毎晩祈りました。
でも、母からの合図はありませんでした。母は私が苦しんでいたら絶対に見捨てない人です。
母の死後、私は「考える」ヒトへの道を歩みはじめました。中学生の時、母の日記を見つけました。死ぬまでの1年間と、私の生まれた頃の日記でした。
私は母の実子ではありませんでした。私はその片鱗を一瞬たりとも感じたことがありません。病気の間も、私の勉強を管理していたのですが、当時の私はただただうざかったのですが、それは夫を信じられず、自分の死後、実子(私の弟)を面倒みてくれるのはあきちゃんしかいないとの思いだったのです。
それからさらにフラッシュバックに苦しめられました。
20年の時が流れましたが、母からの合図はなく私は確信を得ました。
【人は死んだら終わり。死後の世界は無い】
【過去は変えられない。どうしようもできないことに気を取られるのは無駄】
私はフラッシュバックから解放されました。

雑食の巨人

回答数 8600>>
ヒトに話すならハトに話します。
関連検索ワード
おすすめのクリエーター