『怪獣映画』について思うこと ②先述した通り、『怪獣映画』には設定やドラマ部分がおざなりな場合が多い。特に顕著な例を挙げてみる。『ゴジラvsスペースゴジラ』という作品では、過去にゴジラが戦ったビオランテという怪獣が、設定上関係してくる。ビオランテの詳細は後述するが、この怪獣のゴジラ細胞が宇宙に飛散し、その細胞がブラックホールを介し、結晶生命体を取り込み、怪獣化。やがてゴジラ細胞の帰巣本能により地球に向かう、という設定。そして上映開始から僅か5分で、どこかの施設の管制官が叫ぶ。『スペースゴジラが地球に向かっています!』……様々な設定はさておき、『いつその名前決まったの?』という違和感、そのブラックホールで結晶生命体云々は、『誰が見てきたの?』という疑問に繋がり、一気に醒めた記憶がある。要するに、設定や伏線をセリフで説明したり、ご都合主義で展開したりするのが、『怪獣映画』の悪しき側面であり、通常の映画マニアが避けてしまう要因になっている気がする。結果、ボク個人としては怪獣が暴れ回るカタルシスだけを楽しみにして劇場に足を運び、その内容にドラマ要素や納得のいく解釈、伏線回収などは期待しなくなっていた。それを、逆の意味で期待を裏切ってくれたのが『ゴジラ -1.0』だった。しかし、-1.0以前にも、光明を見た作品もある。昭和ゴジラ、平成vsゴジラ共に、そのシリーズは休息を取るかのようにそれぞれ幕引きがある。1995年12月公開の平成vsゴジラ最終作『ゴジラvsデストロイア』の公開に先立ち、ゴジラ生みの親、東宝のライバル大映(現KADOKAWA)から、『ガメラ 大怪獣空中決戦』が3月に公開された。これは、配給が同じ東宝なので、おそらくゴジラシリーズ終了の間繋ぎの意味も含めた公開タイミングだったのかと推測されるが、特筆すべきはその内容である。『ガメラ』(平成ガメラ三部作)は、映画マニアにしっかりおすすめ出来る。何故なら、子供向けにシフトした設定おざなりのゴジラシリーズと差別化を計ったのか、ガメラは非常に大人目線の作りになっている。しかもそのコンセプト。もし巨大生物が本当に現れたら、人間はどう行動するか。怪獣映画に無かったリアリティが、そこにはあった。つづく#映画 #小さな幸せ