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げんぞう

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「実戦では相手はカタ(形・型)通りには動かない」
だからカタ稽古だけでは不十分で、それを補うために試合稽古を行う。
これが一般的な武道や武術の考え方かと思います。

しかし、私が通っている道場では相手を型通りに動かすのが型稽古という認識です。
相手が型通りに動かないのは、稽古に問題があるからです。
流派や道場により考え方は異なるので、この型稽古が正しいというわけではありません。
相手を動かすという技術も数多い流派の中に伝承される技術の一部でしょう。

また、試合稽古が不要というわけでもありません。
実際私が通う道場でも平成初期くらいまでは防具と竹刀を用いた稽古をしていました。
ただ、きちんと型稽古が出来ない状態で竹刀稽古を行うよりも型で正しい動きを身につけることを優先するため、現在は竹力稽古は行っていません。

相手を「型通りに動かす」というのは普段の生活の中で体験できることではないので、なかなか想像できないと思います。
私も22歳で今の道場に入門するまで空手、剣道、中国武術、杖術、柔術と17年稽古していましたが、そのような技術は見たことがありませんでしたし、そんなことが出来るとも思っていませんでした。

実際に相手に動かされても、なぜ自分がそう動いてしまうのか、どうすればそれが出来るのか長いこと分かりませんでした。
柔術でも剣術でもただ型の手順通りに動くだけでは、相手は自由に動いてしまいます。
いくらか稽古になるようになるまで10年ほど、どうやれば相手を型通りに動かすことが出来るか理解できるまでは20年かかりました。しかし、分かったから出来るわけではありません。
今ようやくそれを楽しみながら稽古することが出来ています。
時間はかかりましたが流派の稽古の導く通りに稽古が出来ていることを実感できると楽しいです。
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げんぞう

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日本の武術は剣術でも柔術でも二人で行うカタ(型・形)稽古が中心となります。
剣術では江戸中期頃から防具が発達して竹刀と防具を用いた試合稽古が広まり、柔術は少し遅れて幕末頃から乱取り稽古が広まり、一般的になったのは明治に柔道が生まれてからでしたが、流儀の技術を学ぶのはカタ稽古でした。

カタ稽古では打太刀と仕太刀、または受と取の二人で稽古し、仕太刀・取が勝を納める構成になっています。
ただ、ここで大切なのは手順通りに動けば逆に打太刀・受が絶対に勝つ。ということです。
その絶対的不利な状況を覆すために必要な術こそがその流派が伝えようとする技術になります。

そのような技術は教わってすぐ身につくものではなく、普通に稽古すれば100回やって100回上手くいかないようなものです。かと言って術が発現していないのに打太刀・受が手加減をして負けるようなカタ稽古をしてしまうとカタ稽古の意味がなくなってしまいます。

そのようにカタ稽古は難しいものなので、竹刀稽古や乱取り稽古が流行って元々のカタ稽古が伝えようとしていたものが失われていったのかもしれません。
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げんぞう

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剣道の飛びこんで面を打つ技術を「フリーレン」に出てくるゾルトラークに例えている投稿をTwitterで見かけました。
確かに飛び込んで打ち込む技術は幕末までは一般的ではなく、幕末に大石進が使って大いに流行り、のちの剣道に大きく影響を与えました。
特殊な技術が一般的になった良い例ですね。

私の学んでいる流派でも昭和後期までは竹刀稽古を行っていたそうですが、剣道のような飛び込み面ではなく、構えの高さを変えないように腰を落として手を振り上げ、右拳を滑らせて左拳に寄せて打ち込む、今の剣道とは全く異なる打ち込み方でした。

竹刀稽古も流派ごとに異なっていて、今の剣道のような姿ではなかったのだろうと思います。
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