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✩あゆこ✩

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風見慎吾…🕺
売れっ子のタレントが海外に行って、新しいダンスを学んで帰ってきた――。今なら話題になり、披露する場所も即座に作られそうだったが、80年代の芸能界でブレイキンをテレビで披露するのは「大変だった」。
会議室が一瞬で凍り付いた。芸能界で絶大な影響力を持つ萩本さんに、デビュー間もない若手タレントが番組演出について意見したのだ。制作スタッフからは「お前何を言っているんだ!」「100年どころか1万年早いわ!」。針のむしろ状態の風見さんに、萩本さんが静かに言った。
「じゃあ、何がやりたいんだ。ちょっと見せてみな」
風見さんはその場で、アメリカで学んできた最新のダンスムーブを披露した。ボディーウェーブにムーンウォーク、バックスピン……。どれも国内ではほとんど知られていないダンスだ。それを見て萩本さんは当惑しながら「うん、よく分からないなぁ」と言う。ムーンウォークにいたっては「前に進みたいんだか、後ろに行きたいんだかどっちなんだ」と切り捨てられる始末。だが、同時にこうも言われた。「面白い動きではある」。しばらく考えて、萩本さんは周りのスタッフに言った。「しんごのこの動きに合う曲をレコード会社に持ってこさせて」。「針のむしろ」はその一言で一転した。その日のうちに風見さんに届いた曲こそが「涙のtake a chance」だった。
風見さんの当時のバックダンサーは、後に国内で有数のブレイキンの大会を主催したり、お茶の間で火がついたブレイキンの技術を若い世代に伝えていったりした。こういった地道な活動がブレイキンをただの流行で終わらせず、ダンスカルチャーとして国内に定着させた。今では、世界大会の上位入賞者を輩出する「ブレイキン大国」の礎を築いたかつての仲間たちには「本当にうれしいし、感謝している。彼らが広めてくれたからこそ今の日本のブレイキンがある」と風見さんは語った。
ブレイキン世界最高峰の代表決定戦…男子は菊地教稔V、パリ五輪代表の福島あゆみは女子準優勝






どくねこ
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