自称フェミニストが、「さすが女の子気を使えるね」「男の子なのに気を使えてすごいね」は、「女性ならできてあたりまえだという差別だ」とか言ってるのを見て。俺も女性に不利なことは緩和されるといいなとは思います。でもね。じゃあ女性「奢ってくれてありがとう」男性「女性なのに奢ってくれるの?」は「男性なら奢って当然という差別」でいいってことよね。最初の例も、男性にだって気を使える人はいる。でもちゃんと気を使ってる男性なのに「どうせ気を使えないだろ」と言う目で見られ、そう扱われているということだよ。後の例も女性でも男性に奢る人はいる。でもどうせ出さないだろうなあという目で見られてるということ。これらは、女性にとってだけ都合の悪いものだけをピックアップして主張したり、男性にとってだけ都合の悪いものだけをピックアップして主張したりするもんじゃないと思う。自分の性別にとってこれが不利だと主張するのなら、自分の性別が有利な部分も不利な方に合わせる努力をしなければいけないと思う。それを無しに、「女子トイレに3、4歳の男児を連れてくる母親〇ね」みたいに主張するのは、それはフェミニストではないんだよ。それはただの「男性差別主義者」なんだよ。フェミニストという言葉で自分は差別してない、されてる側のように振舞っているけど、中身はただの差別主義者。なんでこの世から女性差別がなくならないかって、この自称フェミニストが1番よくわかるんじゃないのかな。この自称フェミニストと名乗ってるだけの差別主義者がいるからだよ。あなたこそが差別を作り出してる。あなたこそが差別している。こういう人がいる限り、差別はなくならないと思いました。おしまい。