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ユウ🦌(雄鹿です)

ユウ🦌(雄鹿です)

ちょっと内容センシティヴかも🦆

私、幼いころから道端の草木はもちろん、石ころや水溜まりにも「命」が存在する[ほほえむ]って思いながら歩いてた[照れる]。まぁ私、天邪鬼なので既存の宗教・思想などと関連付けることはせずに、ひたすらその「命?」のことを考えてきたのですが、なかなか素敵な解釈を見つけられずに漠然としたまま若い頃を過ごしてました。それと並行して、臆病な私、何が怖いって、いつか自分の存在がこの世からなくなるという「ワタシにとっての無(死後には絶対的な虚無が永遠に続く)」が本当に怖くて寝てらんない時ありました[大笑い]。あるとき(いい歳になった頃ねっ[照れる])小料理さんで、喜劇役者さんと偶然、一緒になったことがあって、いろいろお話していたら「何が怖いか?」になって、双方「自分の死(虚無)が途轍もなく怖いっ[びっくり]」というお話で、盛り上がり(盛り下がり[大笑い])ました。普段TVで(かれこれ30年は観てないけど)、陽気に振る舞っておられる方が、顔を真っ青にして顫えていたこと覚えてます(3年後その方亡くなりましたが、おそらく解釈半ばで逝かれたと思います・・・たぶん[目が開いている])。で、私もそろそろいい歳なので、ちゃんと命(生と死)のことを[照れる]って。なので、概ねの解釈だけど→ 荼毘に付されたワタシのカラダの殆どは大気と混ざり合い、遺灰(散骨希望ねっ[にこやか])は塵となって海に溶けて、分子として、原子(亜原子粒子)として、うーんもっと分解?されると素粒子としてイキてゆくっ(うふっ[大笑い]これエネルギーの話よね?)。生と死を物質の無限運動における様相の変化の連なりとしてウケけ入れるとそんな感じ。生物と無生物の間には絶対的な障壁など存在しないって言うのは、物理学者にとっては日常の事象みたいだし[ウインク]。で、ワタシもう世界中、大気と海流に乗っかって何処へでもいけちゃうし(自分の意思じゃなくて地球の都合なんだけどねっ[笑う]) 、石コロにも水溜まりにもなれちゃう。ワタシは物質とエネルギーの間で生成消滅を繰り返しながら、そのイノチを永遠にタノシんじゃう(←もうヤケクソねっ[泣き笑い])勿論、人間の本能的な認知衝動の一つ「生と死の間に差異を認める」と言うのは十分理解してるよ。願わくは、私自身がワタシの生を安らかに終える際には(ハードランディングもあり得るけど[疑っている])、無への恐れや生への執着を、静かに消し去ってさりたいなぁ・・・ナンちゃって。コメ欄も見てねっ[照れる]
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すいれん

すいれん

場, 生成消滅, 質量とエネルギーの等価とか全然なくて"世界には粒がありますつまり「原」子"の世界観だからラプラスの悪魔の様なテーマも生えたわけなので量子力学はそもそも世界観が違うな ラザフォード実験1911年だし
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