「差別を止めることもまた、ひとつの差別を産む」ジェンダー差別学歴差別人種差別体型差別他にも多様な差別があるけど人に何らかのレッテルを貼ること全般を差別と言うものと思っている。差別を止めようという運動はありジェンダーレスや多様性など特に性別や人種についてはいけないものとして共通認識が強く根付いてきているのだと思う。しかしながら、学歴差別や年齢差別体型差別、身体的特徴差別などは深刻なものとしてそれほど大きく取り上げられている状況とは思えない。例えば「男のくせに」、「女なんだから」と発信すれば、異性から猛クレームがくるし社会問題になる可能性すらある。でも「オジサン」、「オバサン」、「クソガキ」、「その他デブやチビ等」など差別発言を行っても当事者間の問題にしかならず全体に問題が波及するほどの大きな関心は望めない。つまり派手で厄介そうなクレーマーが多い問題はうるさいから先にやりましょう。地味で厄介なクレーマーも少ない問題はいっそ後回しにしよう。解決するかどうかをジャッジするのは民意の総数であり、関心の大きさである。だからそれ以外の問題をお持ちの方はまぁ、いつになるかはわかりませんがとりあえずお持ち下さい、と。解消される目処のたたない問題は粒が際立たないだけで、恐らく総数は尋常じゃないほど多いはず。苦しんでいる立場の人からしたら他の問題が沈静化する状況、つまり差別を全体で抑えていくたびにこれこそ差別だ、と感じるのではないだろうか。