カレーをたべながら、いつも感じるんだけど。なんで何処も福神漬け添えるん?要るか?って。お得意のGoogle先生に聞こう。諸説起源が明治初期の①日本郵船外航と②阪急説と今迄の説と変わらない。色々面倒なんで参照は(福神漬けandカレー歴史)ですまんがググってくれ。①は外航路の客室食でインドチャツネに代わり漬物出した説②それを阪急の小林が①を知り始めた。紐を解くと①②ではなく、②の知ったからではなく、阪急百貨店でライスだけを食べるお客さんのご飯のお供に出していた福神漬けをサービス強化にカレーのご飯に付けた。ってのが事実に近いらしいが腑に落ちない。さて話題はここからが本番です。↑は福神漬けが乗った経緯なだけで添え物スターになる背景がないので、スターになるストーリーが知りたいのだ。②から★大正9年(1920年)阪急食堂でライスだけを食べる文化。阪急百貨店食堂の客の中には、お金がないためライスだけを注文する人が多く。卓上のソースと、ライスに添えられた福神漬のみが受けていた。以前、江戸時代のおかずを調べた時に、お米の殆どは年貢に納め、一般平民は”稗や泡”(米贅沢品)と味噌汁と漬物が主流。毎日おかずは難しい時代。江戸時代から明治に入った頃なら、まだ白米がメインという価値感が残っていても不思議ではない。ご飯がメインで、ご飯のお供が必要とする日本人が基本だと想像する。では漬物ではなく福神漬けに視点を変える★福神漬けは明治10年(1885年)酒悦が起源らしい。阪急より先ですね。なんと明治27年の日清日露戦争での軍の携帯食がきっかけで認知度が上がったと。明治初期に発酵食品では戦地への輸送では傷みやすい食材のため、非発酵食品で缶詰になった福神漬けが採用され、それを食べた兵士が帰国し★ブームを作った。明治後期に洋食が庶民化する過程で洋食+白米が主役になり、その際に日持ちの良い福神漬けが主流化していく経済合理性がブームの後押し洋食屋ライスのお供に福神漬けになった本質はこの点。★白米大好き日本人の大切なお供に日持ちする経済合理性により他を押し退けた。★戦争帰還兵と阪急食堂など現代でいうインフルエンサーがもたらしたブームと実態はこんなところだろう。さて結論を言うぞ!福神漬けっているか?