問題は人を見る偏見とそれらを判断する心。まずこれらを解決する必要があるそれは人によるし確実にあるものだから人の考え自体を変えなければならないが、となると新たに作らなければ不可能になる箱の中にいて変えようなんてことはほぼほぼ不可能であるから、相手の意志に飲まれたり、本質を見失う人を許すか、と問題という事実は別なわけであって、合わせなければでもないし、やらなければでもない。何かをするのに何か返ってくるならソレを誰かに当たるのは筋違いだろう。なら、僕が受け止めて笑うこれが第一だろうは基本的に思う働き方ややり方をまず根本から変えるとともに、それ以前にそもそも考え方が変わるためには先ず僕がやってみなければになるおかしいと思うし、その中で悩むより変えていくためにはそもそも、じゃあひきこもりは極論仕事が問題であるにまあ、風が吹けば桶屋が儲かる桶屋理論だけどとなると、まずもって自分たちの心のレベルとが大切になって何年悩んでるか何年、呪いに翻弄されてでも、変えなければならないことすら気づかなかったり、一理あると恐れから人を偏見の目で見ることが正当化されるなら、なんでも前向きにやるしかねえ