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太郎さん
参考 澤木興道 『証道歌を語る』 内山興正 『証道歌を味わう』
本文
きみは見ないのか、すべての勉強をし終わって自己の他に何にもなく他を拠り所としない人を。作り事のないゆったりした人を。この頭では考えられない命を生きている風流の人を。妄想を除かず真を求めない人を。妄想も真実も頭に思い浮かべただけのものにすぎないのだ。頭ののぼせ上がりが消えれば何処にもない。根拠理由を考えてもどうにもならないでしょう。
手と足を閉じて坐禅すれば思いが湧き上がって来るのが分かる。これが無明の実性即仏性ということです。生命力があるから妄想煩悩が起こるのは当然です。自然の天地は否定出来ません。人権も社会的約束事にすぎない。当てにはならないということです。本来われわれの頭の中で考えるのは幻です。幻を幻と分かることが自分のみを拠り所にしていればよく分かります。
われわれは呆ける。もっと上手いことしよう、もっといい目に遭いたいと思って呆ける。この思いを手放しにすること。それが覚めると言うことです。おれはこれだけ貰えるなんて権利はない。全くの無一物です。無一物の命は何ものにも汚されない天真爛漫です。呼吸は生きている証です。その呼吸の力はどこから来るのか。おれの思い以上の力がはたらいているのだ。困ったって頭の中で思っているだけ。すべてが大自然に生かされているのだ。宇宙一杯なのですよ。
身の動きはあらわれては消える浮雲。心の動きはと言えば、貪り、怒り、愚かさの泡にほかならない。頭を手放しするのだから思いは起こってもまた消えるのです。命のことが分かれば自分の思いのことなどどうでもいい。刹那に消えるこの世の地獄。どんな怖しい思いが頭に浮かんでもまた消えてしまう。わたしが嘘を言って誑かしているのなら、みずからこの舌を抜いてやろう。


太郎さん
証道歌より


食券🌏🍏
俺は金魚飼いたいなぁ〜。
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