日御碕灯台駐車場、南の丘の上に月が登った今日は上弦の月🌓緑繁る丘は「隠ヶ丘」という*案内板には、このように書かれています。神蹟 隠ヶ丘神代の昔 素盞嗚尊 高天原より出雲に降り斐の川上に八岐の大蛇を退治し、国津神の娘櫛稲田姫を后とし給う。これ天津神と国津神の婚姻の始めなり。かくて尊は出雲の国造りを始められ国土経営の御神功を終えられるや、その後を大国主命に譲られ根の国に渡り熊成の峯に登り拾い柏葉を取り「吾が神魂はこの葉の止まる所に住まむ」とお投げになったところ葉は風のまにまに遂に美佐伎なる隠ヶ丘に止まる。ここに於て御子天葺根命(あめのふきねのみこと)(天冬衣命とも申す)ここを尊の御神魂の鎮まります処として斎き祀り給うと云う、後 安寧天皇(あんねいてんのう)十三年命の五世の孫 御沼彦命(みぬまひこのみこと)勅を奉じ、今の宮地に神殿を建て遷し祀らる。これが延喜式に見る美佐伎社なり、後天暦二年村上天室の勅により上下両本宮を併せて日御碕大神宮と称へられることとなり永くこの称号は続きしも 明治より後は日御碕神社と改められる。尚、以前にはこの付近から柏葉の化石が出現し、これらを神紋石と申せり。又日御碕神社の御紋章「三ツ柏葉」はこれに由来するものなり。#日御碕#隠ヶ丘#スサノオノミコト#日本の夜を守る日御碕神社⛩️#昼を守るのは伊勢神宮⛩️