昭和懐古録 ♯ 26#グラビティ昭和部 ・昭和3年(1928年)☆『石原博士の愛、破局』 9月26日 東北帝国大学勅任教授の栄職を振り棄て、家庭愛を破り、一切を犠牲に進んで来た石原純 博士の至情に動かされ、世のあざけりの前に身をさらし、千葉県保田に愛の巣を営んだ歌人原阿佐緒女史はそれから八年、漸く世間の噂から遠のいた今突如馴じみ深い愛の巣「曖日荘」を飛出し上京二十六日夜の汽車で老いたる母人と二人の愛児の住まふ故郷宮城県黒川都宮床村の「山の白い家」へ帰つて行った。前々からうちあけ話をきいてゐたK女史の話を綜合すると、当時東北大学教授たりし石原博士が職を地つて阿佐緒女史の愛を求めたのには最初から無理があつた。博士は阿佐緒女史を全然一人の可愛い人形として愛したので感情ばかりで理性の無いかと思はれる純情な阿佐緒女史は、全く受け身の立ち場にあつて博士の力に負けたのであつた。が負けず嫌ひの阿佐緒女史は一旦の愛恋に完全な実を結ばせやうとして血みどろな戦ひをつづけ、世の非難と争ふと共に博士に対しても一個の人格として扱はれる事を絶えず希ひ求めて来たのであるが、遂に改めることのない博士の頑くなな性情に絶望してここに最後の道を取るに至つた。(東京日日)※ フレームは石原純博士と歌人 原阿佐緒あけみの唄あけみ悲しや 何処へ往く酒場の花と ひとはいうが酔うては醒める 酒のよな恋はすまいぞ ひとが泣くものあけみ悲しや 何処へ往くたまたま恋の 誠を知り大天使のかと 思ったが人の幸ゆえ 泣いて捨てたよあけみ悲しや 何処へ往くいまさらさらに 思う我が子ゆりかごゆりて 笑みし日を恋ては泣くよ 母なればこそあけみ悲しや 何処へ往く恋にも世にも 敗れ果ててせめて子のため 永らえよあああ あけみ 何処へ往くよ昭和7年に公開された原阿佐緒原作・主演の映画「佳人よ何処へ」の挿入歌♫あけみの唄 の歌詞である。作詞:原阿佐緒 作編曲:古賀政男 である。