大学時代、当時所属していた合唱サークルの合同演奏会のため、北海道に遠征したことがある。大学3年の夏のこと。演奏会終了後、鈍行で二日間かけて帰った。一日目の夜は、函館駅舎内のベンチで眠った。最初からベンチで野宿(と言ってよいのか分からぬが)することを考えていたわけではない。時間的に函館よりも先に進むことも出来たが、まちの規模から考えて、函館で降りた方が宿泊施設を探すには都合が良いと考えたのだ。バス旅と同様の発想だ。駅を出ると、宿の客引きの人が居たのを記憶している。しかし、それには応じなかった。まずは、自分で宿を探してみようと。駅周辺を歩き回っていると、あれはどこだったのだろう。何かの建物で演奏会のようなものが催されていたのを記憶している。そこに入り込んで演奏を聞いていた。一時して演奏が終わり、その建物から出ていくことを余儀なくされた。その建物の中で一晩過ごせないかと目論んだ記憶が残っている。しかし、当てが外れたということで出ていった。その後は、駅付近のコンビニに行って、時間をつぶした。その頃は、もう宿を諦めていた。そのままコンビニで朝まで徹夜しようかなどと無謀なことも考えた。当時の私は、何よりもお金が惜しかった。しかし、疲れには勝てぬ。食べ物と読み物を買って、駅に戻った。ベンチで眠ることにした。ベンチには、先客がたくさんいて、同じように眠っていた。だからだと思う。私一人だったら、ベンチで一夜を明かそうなどと考えなかっただろう。初めての体験だった。その後、バイト先でこの時のことをバイト仲間の女性に話すと、「男性はそういうことができるから羨ましい」と言われた。そうなのだ。私は、男性であるというだけで、我が身に襲い掛かるリスクが軽減していることに無自覚であった。男性が男性であるだけで、絶対に安全であるわけではない。私自身、幼少期から痴漢の被害に何度もあってきたし、自分が過ごした街では、特定の変質者に何度も付け回され、体を触られた。初めて被害にあった際に、母にそのことを報じたが、何の救いにもならず、その後もその男に何度も遭遇した。私がある地下鉄の駅の出口の前に自転車を止めたところ、その時刻を見計らっていたかのように、出口からその男が現れた時は、心底恐怖した。続く