昼のまばゆい光の中で草木を見つめると、私はあくまで世界を外側から眺める傍観者の立場にいる、と感じる。皮膚は結界としての役割を果たしていて、すべてが遠くて屹然としてどこまでも私でしかないことが孤独で。そういうとき、見ることはとても受動的に思える。けれど、陽の沈んでいく空はオパールのようだと気づいたときに、少しずつ移り変わっていく色や風に、境界線が滲んでほどけていくようで、そのただ中で草木も虫も私も横並びにあると感じたのを覚えている。『わたしが誰かわからない』を一気に読み終わって心に残った「自己消滅」と「わたくしといふ現象」(これ自体は宮沢賢治の言葉)でそういう感覚を思い起こした。