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マサヤス龍之介

マサヤス龍之介

昭和流行歌総覧  ♯ 25

#GRAVITY昭和部

 灰田勝彦 .23
 前回で紹介した♫ジャワのマンゴ売り のカップリングは同じ灰田で東辰三(あづまたつみ)作詞作曲による♫想い出のカンナ 。当時の分業制システムの中で作詞と作曲の合わせ技一本‼️でこなせる人はまだ少なかった。東は1925年(大正14年)、社会人アマチュアコーラスグループ「東京リーダー・ターフェル・フェライン」の結成に参加。1935年(昭和10年)、中野忠晴にスカウトされ、コロムビア・ナカノ・リズム・ボーイズにバスとして参加。「山寺の和尚さん」の2番でソロをとっているのが彼である。1936年(昭和11年)コロムビアレコードから伊藤久男の「別れ」で作詞家デビュー。淡谷のり子の「別れのフラ」を作詞後、1937年(昭和12年)ビクターレコードに移籍。1938年(昭和13年)「つわものの歌」や「荒鷲の歌」を作詞作曲し、全国的に名声を得る。♫荒鷲の歌 ではかつて所属していた東京リーダー・ターフェル・フェラインを全面起用、軍歌には違いないが戦争末期の頃のような悲壮感はまだない。その他には「国境ぶし」「お玉杓子は蛙の子」「バゴタの鐘」など100曲ほどを作る。ビクターに在籍して作曲家としての才能も開花し、この灰田の歌も優雅なワルツ調である。 
 東の作風はどこか洋楽のリズムを匂わせる曲調が多く、ビクターがスタジオを戦災で焼かれコロムビアのスタジオを借り受ける形で戦後の音産業をスタートした第一回吹込みの♫君待てども や大ヒットした♫港がみえる丘 の作詞作曲者として、長く記憶された。70年代にヒットメイカーとなった作詞家山上路夫は東の子息である。
 灰田の方は♫ジャワのマンゴ売り の次に出した昭和17年10月の新譜♫新雪 がまたまた大ヒット。灰田らしい明るく清廉な楽曲で戦争の影など微塵も感じさせない佳曲だ。大映映画『新雪』の主題歌で、こちらもヒットした。大映専属女優だった月丘夢路主演で、灰田のA面に対しB面には月丘が唄った♫千代の唄 がカップリングされた。  
 タンゴ調のリズムでビクターらしい小編成のサロン風楽団演奏であり、この辺りは灰田がおやっさんとして慕った佐々木俊一のセンスであろう。
 灰田はかつての辛い戦争体験が、この歌によって漸く払拭出来た、と回想していて、この歌の清々しさは人々の心を癒した。

つづく
GRAVITY

新雪

灰田勝彦

GRAVITY
GRAVITY29
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