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マサヤス龍之介

マサヤス龍之介

岸辺🏝️の100冊  ♯ 9-3

#読書の星 #東京 #武蔵野 #日本文学
 

 ☆『武蔵野』 国木田独歩著

  武蔵野の第4項に…武蔵野には決して禿山はない。しかし大洋のうねりのように高低起伏している。それも外見には一面のようで、むしろ高台のところどころが低く窪んで小さな浅い谷をなしているといった方が適当であろう。…
  とある。年末に書いた本稿♯ 7で紹介した『昭和二十年東京地図』の中で西井一夫は…独歩の住まいからは渋谷方面の林や丘や水車が一目に眺められた。現在渋谷駅のある窪地はまさしく四方から坂が集まってくる谷底様である。この谷底で練兵場(現在の代々木公園)下を流れてくる宇田川と原宿の方から来る渋谷川が落合い、これが天現寺、古川橋、一ノ橋、金杉橋と流れて竹芝桟橋脇で東京湾に流れ込んでいる。…と解説してくれている。また同書の中で東京大空襲の翌日、作家山田風太郎の若き日を綴っていて、独歩の武蔵野との共通点を見出せる。…大空襲で友人の安否を確かめんと山田風太郎は新宿から本郷まで歩く。「何と云う凄さであろう!まさしく、満目荒涼である。…ついこのあいだまで丘とも知らなかった丘が、坂とも気づかなかった坂が、道灌以前の地形をありありと描いて」いた。野暮な恨みをのべるより、風太郎は冷静になろうとする。…独歩の武蔵野を書いた明治30年から47年を経過した東京はそれなりに発展していたがアメリカの行った空襲で道灌以前の地形が判るほど東京は荒涼としていたのである。独歩は武蔵野の落葉樹林を見て満目黄葉と表現したが、風太郎は満目荒涼とした。それは自然の織りなす美しさとは対極の人為的にもたらされた望まざる風景だった。
 独歩は武蔵野を巧みに端的に表現している。
 …一種の生活と一種の自然とを配合して一種の光景を呈しおる場処…田舎の人にも都会の人にも感興を起こさしむるような物語…大都会の生活の名残と田舎の生活の余波とがここで落合って、緩やかにうずを巻いているようにも思われる。…
 明治の半ばにしてすでに武蔵野の正しい定義を主張した独歩は文壇の寵児となったが、肺結核を患い晩年は茅ヶ崎で療養中に死んだ。36歳の若さだった。独歩の玄孫に現在俳優として活躍中の中島歩、モデルの国木田彩良がいる。
                    完
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