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k(CV:五ェ門)

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最後の帰省の際、当地のお茶を二袋土産に買って帰った。
うち一袋は、すぐに缶に移し替え、そして、私の滞在中に何度も飲んでくれた。

「お茶は高いからね」
と言い、出涸らし状態になるまで大事に飲んでいた。

「無くなったらすぐに送るから」
そう心の中で呟いたけれども、結局声には出さなかった。

母の死後、実家の台所の食器棚を見ると、私の土産のお茶、残りの一袋が未開封のまま残っていた。

玄関の踏み台、台所の椅子、居間でお湯を沸かせる電気ケトル。
皆、買ったばかりなのに。
一年も使ってもらえなかった。

カメラは、12年になる。
犬が亡くなり、撮るものがなくなったこともあってか、最近、母が写真を撮った形跡はない。
それでも、大事に使い続けてくれた。

しかし、母が求めていたのは、そんな物品ではなかろう。

以前勤めていた職場で、当時の上司と雑談の中で、母親へのプレゼントに何を渡したら喜ばれるかが話題に上った。

係長は、金券、現金等、そういったものを候補に挙げていた記憶がある。
私は、大真面目に「肩叩き券」を提案した。
「何をつまらない冗談を言っているのか」といった具合で、歯牙にも掛けてくれなかった。

私の母であれば、物や金を渡そうとしても、決して受け取ろうとはしないだろう。
それでも、肩叩きなどであれば、きっと喜んで受け入れたに違いない。

それは、決して美談などではない。
要は、私がそれだけ不義理をしているということだからだ。

普段から当たり前に肩叩きをしていれば、そんなものは改めてプレゼントにするようなものにはなりえない。
そういう理屈であれば、それも真理だ。

私は、不義理を重ねた不肖の息子である。
自ら肩叩きなど買って出ることができず、とうとう一度も母にそういった類いの行為をせぬまま、母を亡くしてしまった。
もはや、その機会は永遠に訪れない。

「ねえ、肩を揉んでくれぬか」
そのように言ってほしかった。

そうすれば、私は決して断らなかっただろう。

4月に妹が母のもとを訪れ、母の足を揉んでいた際、母のスマホからMEETで私に母の顔を映してみせたことがあった。

当然母には私が映る。

突然私がスマホに現れたことに驚きながらも、妹がマッサージをしに来てくれて優しいと感謝の言葉を述べ、先日は弟も訪ねてくれたと嬉しそうに語った。

それが母と話した最後となった。
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