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よしきゅん

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俺は請負の仕事してます。
だから、社内以外の人でも仕事することあります。現場は毎回、事務所から車に乗り移動してます。なので、人数が多い現場や少ない現場もあります。1番、この車を乗ってて嫌なことは、他の会社の人のできなかったことの愚痴を共感し合うと言う所は俺は嫌いです。
なぜ嫌いか?
俺の幼少期から高校生まで、陰でコソコソ言う父親の元に育ちました。
子供達にもはっきり言葉を伝えれない、都合のいい父親。母親に怒りをぶつけて、回って母親から言う事が言うことになるんです。
こんな家庭に育つと、子供ってどうなると思います?
陰でコソコソ言われるのに怒りをぶつけることになります。俺が反抗した言葉を出すと、偉そぶりやがってって父親も苛立ち反抗してくるんです。
こんなことの繰り返しです。ありえますか?
父親って何を考えてるか分からない。
俺の中で、父親にコソコソ言われた経験があるので、こうやって会社では、みんなと同じようにコソコソ言うことはできません。これって体験から来てると思います。
それを最近感じたので、こうやって文章起こししてみました。
なんか気になることがあるなら、コメントくださるとありがたいです。宜しくお願いします
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ぱぴのすけ

ぱぴのすけ

私には兄がいて歳が5歳離れて居るんだけど 歳が少し離れた兄と妹だから あまり遊んだりとかもしなくて母親曰く一人っ子を2人育てた感じと言っていて妙に納得したのを覚えている。
そんな母親は(父親も?)長男を頼りにしていたんだと思うし 昔ながらの家に育った母親は 自分自身の兄弟も長男が大事にされていただろう経験からか 兄を大事にしていて 結果わがままな王様状態(私から見てだけど)
私も兄も高卒で就職して 兄はその市内でもかなり大手の会社。私はそうでもない会社に何とか就職が決まって働き始めた。その当時お給料は80000円強くらいで家に20000円入れて車のローンを20000円。車の保険と自分の生命保険合わせて15000円くらい。ガソリン代払って残りいくらも残らなくて月に漫画の本を数冊買うくらいだったんだけど 兄は車を親に買って貰っていたって後で聞いてビックリしたし呆れた…
家にお金も入れてたのかなー?その辺も疑問だし 兄妹差別が顕著な家庭だったと思う。

私は結婚して子供ひとりしか産まなかったんだけど 息子は兄弟が欲しかったみたい。でも もうひとり産んでいたら どちらかが可愛くてどちらかが可愛くなくてってなっていた様な気がする。2人目が出来なかったっていうのもあるけど 私はそれで良かったと思ってる。
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マンタの鎖骨

マンタの鎖骨

年末年始、家族や友人たちとゆっくりおせちを食べ、お雑煮を食べ、初詣に行き…といったことを当たり前に出来るのが羨ましく思えてしまい、季節行事そのものが苦手になっていたことをもう諦めて認めることから始めなければならない。

高校生になった時から接客業や農業など現場仕事しかしてこなかったので、人々が休暇で楽しんでいる時こそ忙しく、例年そういった事をできる状況ではなかった。
会社で働いていた時も、家族がある人が休むために私が働く。
子どもを持つ人や急病になる人が欠勤するたびに、休日を返上して代わりに出勤する。

実家では情緒不安定な母親と、パチンコと酒に溺れる父親、不登校の妹。荒れ果てた家に居場所はなく、家族で過ごした記憶はかなり遠い。
現在も、冠婚葬祭以外で集まる機会はない。

憧れだったんだなあ。私にはできなかったそういう暖かな家庭の時間が。

さみしかったよね、頑張ったのにね。どうにもならなかったよね。


盆暮正月、現在の居住地である田舎では、都会に出た息子や娘が子供を連れて帰省するファミリーカーが多くなる。
親戚一同が会する本家などでは、自宅駐車場では事足りず、道路や歩道にまで県外ナンバーの車がたくさん止められている光景。

私にも子どもがいたらそうだったのかな、と時々考える。歩めなかった方の人生を。


でももうそろそろ、しっかり諦めて、認めていかなくてはならないな。

これから先の時間が、幸せであれるように。
過去の頑張ってきた私も、讃えられるように。



そんな事ばかりぐるぐるしてしまう、重めの正月。
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✩あゆこ✩

✩あゆこ✩

#千葉県
いま、フジテレビでの騒動で思うことは
どんな所にもある話…と受け止める。
テレビ局という派手な場所で起きたことだから
スゴク大変な事のように思うけど
そこら辺の小さな会社の中にでも、
いわゆるクソジジイは存在して泣き寝入りする女性がいて…。

…という私も似たような経験がある。
田舎の公共事業で東京の大きなゼネコンが建設を請け負い何社かとの共同で建設が始まった。
現場の事務所がポツンとひとつ置かれたその場所に私は現場事務員として若い時現場監督さんに採用された。この現場を担当している所長は社内ではトップの成績をもつ権力者でその部下になった社員は将来幹部となる有望な強者の集まり。すでに建設現場は稼働しており事務員募集から採用、職人さんたちの管理から全てをこの入社2年目の23歳の彼が仕切っていた。
私は前職を辞めたばかりで期間限定のその職場はあまり乗り気では無かったけど、監督さんが一生懸命に仕事をしてる姿に感動をした(笑)
職人さんたちはもう、5060のガラの悪そうなオッチャン集団。そのオッチャンたちに監督さ〜んと呼ばれ走ってついて行く(笑)
面接に行ったけど中々、話が進まない。
1時間待たされ…(笑)
すみませんでした。履歴書をお預かりしますね。いつから出社できますか?
と。。。
何にもまだ話もしてないけど、いいんですか?
というと、とにかく忙しいんで来てくれると助かります!
って。(笑)

……この監督さんは
私の将来の主人です。

まだ、そんなことになるとも知らずに
じゃ、明日から?でもいいですよ。と答えた。

翌日、事務所へ行くと
所長が本社から来ていた。

はじめまして。と挨拶もそこそこ、
3人でお昼を食べに行った。
地元の私に美味しいお店を紹介してくれと言われ私の車で蕎麦屋へ案内した。

私の車は赤いファミリア。所長はこの車を社用に使わせてくれと言った。ガソリン代を全て出すと言われ断る理由もないから。
本社からの来客や所長の送迎、事務員で採用されたはずだけど運転手もした。

程なくして、近所のアパートを数部屋社員用に借りた。所長も監督も東京からの通勤はかなりの時間ロスがある。監督は毎朝特急に乗って通勤していて駅からはタクシーで来ていた。

1ヶ月が過ぎた頃、共同会社の所長が私に
うちの会社のほうも面倒見て欲しいと言ってきた。続く…。
        
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