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マミ
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1751(寛延4)年3月11日にイギリスの新聞
英字新聞
ロンドン・アドバイザーリテラリー・ガゼット
紙が世界で初めてコラムの連載を紙面上で開始したことにちなんで記念日が設けられております。
コラムは新聞や雑誌の
短評欄
囲み記事
を指しておりますが、元々の語源は古代ギリシャや古代ローマの建築様式によく見られる
石柱
columnコラム
訳石の柱
を意味する言葉で、前述の同紙が短評欄を載せた位置が
紙面の縦の欄を利用していたこと
記載内容が批評だったこと
から
英字新聞
その欄を柱に見立てて、そこで行われる批評が一般的にコラムと呼ばれるようになった
とされております。
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ちょむすけ
1751(寛延4)年3月11日にイギリスの新聞ロンドン・アドバイザーリテラリー・ガゼット紙が世界で初めてコラムの連載を紙面上で開始したことにちなんで制定。
ちなみに、コラムは新聞や雑誌の短評欄・囲み記事を指していますが、元々の語源は古代ギリシャや古代ローマの建築様式によく見られるcolumnコラム(石の柱)を意味する言葉で、前述の同紙が短評欄を載せた位置が
・紙面の縦の欄を利用していたこと
・記載内容が批評だったこと
から、その欄を柱に見立てて、そこで行われる批評が一般的にコラムと呼ばれるようになったんだとか。
それでは今日も一日だらだら頑張りましょう
( ・∇・)ノ
#おはようございます

れい
コラムの日(3月11日 記念日)
1751年のこの日、イギリスの新聞『ロンドン・アドバイザー・リテラリー・ガゼット』(London Advertiser and Literary Gazette)が、世界初のコラムの連載を始めた。
コラムについて
コラム(カラム、column)は、もともと「円柱」を意味する言葉で、円柱形、円筒形または柱状のもの一般を指す。現在では、「縦の列」という意味合いから、新聞・雑誌・サイトにおいて、短い評論やエッセイなどを掲載する欄や囲み記事を意味する言葉として使用されている。また、エクセル(excel)などの縦列のことをカラム(column)という。
新聞のコラムの代表的なものとして、『朝日新聞』の「天声人語」、『読売新聞』の「編集手帳」、『毎日新聞』の「余録」、『東京新聞』の「大波小波」などがある。なお、こうした短評欄への執筆者をコラムニスト(columnist)という。
『読売新聞』朝刊1面の「編集手帳」は、内外のニュースから肩の凝らない暮らしの話題まで多彩なテーマを自在に料理し、世相を約460文字で活写しているコラムである。1949年(昭和24年)に創設され、「雑誌の編集後記のように」とのアイデアで名付けられた。筆力の優れたベテラン記者たちが書いており、「朝刊はまず編集手帳から読む」という読者も少なくない。
「雑学ネタ帳」より
#文字でキャラを作ろう
#音楽をソッと置いておく人
#お絵描き



Romance(金色のリボン)

れい
クロスワードの日(12月21日 記念日)
1913年(大正2年)のこの日、『ニューヨーク・ワールド』紙が日曜版の娯楽のページにクロスワードパズルを掲載した。
同紙の編集者であり、イギリス生まれのアーサー・ウィン(Arthur Wynn、1871~1945年)が制作したものが最初と言われる。当初は「ワードクロス・パズル」(word-cross puzzle)という名前だったが、後に「クロスワード」(crossword)に改名された。
彼はこの編集部の「いたずら・冗談課」に所属しており、何かいいアイディアはないかいつも考えていた。ふと思い出したのが、幼いころ祖父が教えてくれた魔方陣。それをヒントに作ったのが「クロスワード」である。
その後、1924年(大正13年)に新聞の連載をまとめた本が刊行され、世界中にクロスワードパズルが広まっていった。また、1930年(昭和5年)には初めて辞書に「crossword」という単語が収録された。
「ク(9)ロ(6)スワード」と読む語呂合わせから9月6日も「クロスワードの日」となっている。
「雑学ネタ帳」より
#文字でキャラを作ろう
#音楽をソッと置いておく人


You've Got A Way

もへみへ
1. 古代エジプト(中王国~新王国)
「若者は神々を敬わず、年長者の言葉を聞かぬ」と嘆かれた。結果、ファラオの権威が崩れ、国はバラバラに。異民族に攻められ、「エジプト、終わったな…」
2. メソポタミア(シュメール~バビロニア)
「若者は酒場に入り浸り、労働を怠る」と記録あり。昔は師を敬ってたのに、今は「知識より娯楽!」って感じ。結果、アッシリアやペルシャにボコられ滅亡。
3. 古代ギリシャ(アテネの衰退)
ソクラテス「若者は尊敬を知らず、議論ばかりで何もせぬ(ブチギレ)」。戦争でボロ負けし、アテネは衰退。気づけばマケドニアの支配下に。
4. 古代ローマ(帝政末期)
「若者は快楽ばかり追い、軍務を避ける」と嘆かれる。兵士の規律が崩れ、ローマ軍は弱体化。やがて西ローマ帝国は滅亡。
5. 中国・後漢(黄巾の乱~滅亡)
「若者は親を敬わず、権力と欲に溺れる」と記録。社会の乱れが続き、農民反乱が勃発。戦乱の末、後漢は滅び三国時代へ。
6. 唐(安史の乱~滅亡)
「官僚も若者も礼儀を忘れ、酒宴にふける」と書かれる。調子に乗った軍閥が反乱→国はズタズタ→滅亡。
7. 日本・江戸幕府(幕末)
「最近の武士は刀を持つだけで戦えぬ」と嘆かれた。商売に手を出し始めた武士たち、もはや経済活動ガチ勢。幕府の権威は地に落ち、明治維新でさようなら。
8. モンゴル帝国(分裂期)
「貴族は酒と贅沢に溺れ、戦士の気概を失う」と記録。チンギス・ハンの時代のゴリゴリ戦闘民族はどこへ? 軍が弱体化し、帝国は分裂&滅亡。
9. ワイマール共和国(ナチス台頭前)
「若者は刹那的で、伝統を軽視し、快楽にふける」と批判された。政治混乱の末、ナチスが台頭し、民主政権消滅。

れい
女性雑誌の日(2月27日 記念日)
1693年(元禄6年)のこの日、イギリス・ロンドンで世界初の女性向けの週刊誌『ザ・レディス・マーキュリー(The Ladies Mercury)』が創刊された。
この雑誌は、男性と女性の両方に向けた週刊誌『ジ・アセニアン・マーキュリー(The Athenian Mercury)』から派生した雑誌として発行された。恋愛や結婚など女性の悩み相談を扱った雑誌で、その内容は現代から見てもかなり斬新で、現在でも「Ladies Mercury」という言葉は、女性の性の悩み相談という代名詞になっている。
ちなみに、日本初の女性雑誌は、1884年(明治17年)6月に近藤賢三が創刊した『女学新誌』である。新聞に福沢諭吉らの婦人論が活発に登場したのに刺激されて近藤は誌面の一新を図り、翌1885年(明治18年)7月に改めて『女学雑誌』を創刊した。「女学」とは、「女性の地位向上・権利伸張・幸福増進のための学問」である。
また、1911年(明治44年)9月に平塚らいてう等の女性による月刊誌『青鞜(せいとう)』が創刊された。当時の日本では、女性は民法で家父長制に従属させられ、選挙権はなく、政治活動は禁じられていた。そんな時代に、明治という新しい社会にふさわしい日本女性を作り出す目的で女性雑誌が発行された。
「雑学ネタ帳」より
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