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甲斐性無しの甲斐の人

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城、城跡めぐりが好きです。 お城の話をしましょう。
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甲斐性無しの甲斐の人

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高天神城

魚津城につづき壮絶な攻城戦が行われたお城シリーズということで、ここにする
武田と徳川の遠江支配をめぐる戦いの中心にあった城
信玄でも落とすことを諦めた難攻不落の城だが、勝頼が攻め落としたことで武田家の最大版図を築いた
しかし長篠合戦以降は守勢に回っていた武田家は、岡部元信を守将として派遣するも、十分な支援ができなかった
徳川軍は難攻不落の高天神に対して高天神六砦と呼ばれる砦を築いて包囲し、その後も周囲に砦や城をつくり続けてその数は22にも及んだ
徳川の城や砦に包囲され、補給もままならなくなった岡部元信は勝頼に後詰めの要請をするも、北条家と敵対していた勝頼は北条軍に背後を脅かされ後詰めに向かえなかった
そして生存していた688名の武田軍将兵は残っていた食料でささやかな宴をしたのち討って出て全滅、高天神はついに落城した
落城に際し、軍監横田甚五郎は包囲網の間を駆け抜けて信濃入りし、甲斐へと報を届けたとされる
高天神城には武田領の各地から武士が集まって籠城していたため、あっという間に武田領全域に動揺が広がり武田家は一直線に滅亡していくことになる

城跡はふたつの山城を井戸曲輪で繋げたような形状だがバカでかいというほどではなく、天然の要害を生かして大軍の攻撃に耐えるのに良さそうだった
大きな堀切や横堀もあり、まさに難攻不落の要塞だった

#一日一城
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