あれ以上を欲して何になろう。あれが全てだ。私は更なるものを認識していないし、紡ぐ言葉のひとつもない。もし、当人がこのお題を出してきたのであれば、欲する前に己を見てみたまえよ、私に文を書けというなら、己が豊かな人間であるかを振り返ってみたまえ。己の振る舞いが私にどんな感情を想起させているか、考えてみたまえ。ともかく語ることは何もない。
陽の光を敵だと思わないこと、身体にかかる重力を心地よいものとして感じること、自身が食事に関心を持つこと、自分だけが孤独に味方されているのではないことを信じ、信頼できる友人とよく会話をすること、ときに己の思考について議論して歪みを修正すること。精神世界への干渉とも言える行為ははたして現実的かどうかは置いておいて思いつくのはこのくらいですかね。ぜひコメント欄でご意見ください。
大型犬。15.3.2025最近知り合った男がいる。随分と人との距離感が近いやつで、初対面の場では「愛されたい」と繰り返し呟いていた。私はどうもその男に好かれたらしく、ことあるごとに過剰ではないかと思うほど褒められ、頻回に話しかけられる。構ってもらえると喜んでいるようなそぶりを見せ、私は、大型犬のようなやつだな、と思いながらあしらっていた。そのうちに、まあ会ってみてもいいか、という気持ちになってきたので、回を追うごとに強まっていく「返事が欲しい」という圧を半ば無視しながら、会う日程を立てたところである。しかしながら、自分のことを知って欲しいという要求に、答えられなんだ。私は、自分の見たものしか信じない。自己紹介なんてものを信じて何になるというのだろう?そいつ自身の自分をよりよく見せたいがためのパフォーマンスを見て拍手でもしてやったらいいのだろうか。尤も、その男はたいそう喜ぶのであろうけれど。そいつは私にとってよく懐いた大型犬であり、私から距離を置かせようとしない節がある。人の心にはどうやら無頓着のようだ。だが、良心の塊のようなやつだ。故に、無碍にできない、自分よりも幼く純粋なものと対峙したような焦りを覚える。私が1人でいたい時ほどこの男は話しかけてくる。どうしたものか、と思いながらも、求められることに快感を覚えつつある自分がいて、鬱々としてきた具合だ。人間関係を欲する自分の醜さに。私はこの男に傷つけられた覚えもないが、その優しさに救われたわけでもなかった。もっとよく知りたい、と思うにはあまりにも共に過ごした時間が短すぎた。(驚くべきことに、この男はたったの3日でここまで距離を詰めてきたのである。)当人からの依頼で「自分に対する印象を文章化してくれ」とあったのでこのように書いたが、どうも私は陽気な文章を書くのが苦手であるため、読んだ当人を傷つけやしないかとやや悩みながらも、投稿ボタンを押した。#日記
お題……ぢゃないよね?普通に答えるけど20年後、15年後、10年後、5年後、の自分をその順にそれぞれ見に行きます。その時の私が一番苦しんでいることとその原因、また幸せだと思う瞬間を聞き出して、現在に戻り対策を立てたり幸せの種を育てる努力をしたいと思います。
文章上手いかな(照(照ありがとうその素因があるとすれば1に小学校中学校の先生の教え方がめちゃくちゃ上手かった可能性2に読書量とそれに比例して培われた想像力3に天賦の才(笑)、といったところかと思います。