中国は嫌いだけど中国のゲームは好き、韓国は嫌いだけど韓国のエンタメは好き。これを都合が良いと取るのではなく、部分的な評価ができていると感じ取れる大人でありたい。『嫌いなものは全部悪』『好きなものは全部良い』みたいな思想は偏ってると思うのです。コンポーザーの性格は嫌いだけど、作る音楽は好き。作家の思想は嫌いだけど、映像は美しい。私はこれで良いですね。
関係値と別れ方によるとしか言いようがありませんけど、個人的には潔く袂を分ける方が好きです。というか、元恋人と近い距離にいると、方々で揉め事の種になりやすいんですよ。新しいパートナーを不快にする恐れもありますし、個人的にはやっぱりNOです。
バドミントンは凄く好きでしたが、大人になるとやる機会があまり得られませんね。市の体育館に行っても部活の子達がたくさんいて、使うのは申し訳ないし、かといって社会人サークルに入ってまでやりたいかと言われるとそうでもないって感じです。
宮城県の沿岸で津波に被災して、家族も友達も何人も亡くなって、家も全壊して、生まれ育った街の面影ごと失った私だけど、黙祷はしません。震災を忘れたい人だっているし、人に強制されてやるもんじゃない。気持ちの問題。
今日で東日本大地震から14年。私は宮城県の沿岸で被災し、当時11歳で両親を亡くしましたが、行くのは墓参りだけで黙祷や慰霊行事には一切関わりません。私にとって震災は忘れたい記憶です。最愛の両親に顔を出しはしますが、震災の恐ろしさを紡ぎ後世に残すのは、他の方に任せます。
場にそぐわないとかなら言うけど、個人的に好きか嫌いかのベクトルなら、聞かれない限り言わないですね!服ってのは究極着たいものを着れば良いんです。それに自分が好きになった人は何着ても可愛かったですよ。酷い別れ方をしたけど、思い返してもそう思えるので、間違いないはず!
Twitterで個人のプレゼントキャンペーンをリツイートしたら当たったらしく、送るから住所と電話番号を教えてと言われ素直に教えたら、そのままそのアカウントは消えたらしいです。フォロワーが9000人くらいのアカウントだったらしいですが、果たして…。