タバコ吸ってる写真あげる人ってそれが特別「エモい(笑)」と思ってるから撮ってるんでしょ?笑だって毎日吸ってるならわざわざ投稿しなくね?笑だから君との写真を僕は投稿しない。毎日君に会いたいから。結婚しよう。
駅から少し歩き賑やかな通りを抜けると、ひっそりと佇む小さな店があった。看板は古びているが、どこか温かみを感じさせる。周囲の喧騒が嘘のように、店の前だけが時間を忘れたかのように静寂をたたえている。店に足を踏み入れると木のカウンターが迎えてくれ、そこに立つ店主の顔にはどこか懐かしさが漂っていた。照明は控えめで、壁に掛けられた年代物の写真が店内を包む空気に独特の味わいを与えている。店主にお勧めを尋ねると、少しの間黙ってからにっこりと笑って「フォロワーを観衆のように扱うアイドル気取りの女が『 あげなおし! 』と言って似たような写真をこすりまくる度に出るこすりかすで出汁をとったクソスープです」
例えば、アラフォー女性の身体に触れようとして「こら笑」と手を払われ怒られたとする。これを「さわれなかった」と思うのは簡単です。ここで「さわれていたら怒られは得られていない」ということに気づけるかどうか。こういったことを考えていくのがこの学部です
みつけるに胸の大きい女が出てきたから「DMいけない。フォロバお願い」とコメントしたら無視された。このように最近の政治家は「国民の声を聞く」などと言いながら結局は自分たちの都合のいい話だけを拾い、都合の悪い話は「慎重に議論する」と言って先送り。最終的には「国民の理解が得られた」と勝手なことを言い出して強行採決。本当にふざけた話だ。
テクノロジーの進化によって、AIやロボットが当たり前のように活躍する時代。そんな時代に求められるのは、知識を詰め込むことではなく、『自分で考え、創り出す力』 。例えば、「40代女性に体操服を着せてコーチと呼んでもらう」とか、そういう『新しい発想』がこれからの時代を動かしていく。
旦那への愛情は結婚する前もしてからも今までずっと変わらへんし、今でも超カッコよくて可愛くてなんなら前よりドンドン大好きって気持ちが強くなってる気がする。今朝も私が「今日も大好き」って後ろから抱きついたら「おじさんなんだから旦那とかいないでしょ」って言ってくれた。
俺はクモに噛まれたことでカワボの音声ルームにずっと居座るという能力を手に入れたスーパーヒーローなんだけど、群がるゲストの男達は皆良きチームメイトなんだよ。その代わり、「上がってもいい??」 これを言った瞬間俺たちスーサイドスクワッドが全勢力をあげてお前を消しに行くからな覚えとけよ
居酒屋の男女共用トイレに入ったら前の奴のウンコが流れてなくて詰まってたから店員呼ぼうと思って出たら入れ替わりで女が入ってきたため、俺が残していったウンコみたいになってしまったんだ。君にだけは真実を伝えておきたくて。
女と飲んだ帰りにホテルの前に差し掛かって「疲れたし、休んでく?笑」と言ったら「大丈夫」と断られた。このように明治時代以降、日本では休むことが「=さぼること」という考えが根深くなり罪悪感を持つ人が多くなった。日本人は今、長時間働くことに対して、ようやく大きな意識転換を求められている。私たちも日々意識を持って、自分だけでなく周囲の人の過労にも気を配っていきたいものだ。
自分と違う考えの投稿をみつけた時にマジレスで反論する人の気持ちがわからない。俺は「笑うと歯茎が出る女は他人を傷つけない」という確固たる持論があるけど、「笑うと歯茎が出る女に裏切られました」って投稿をみかけたって「笑うと歯茎が出る女に裏切られる貴方のほうに問題があるのでは?」とかコメントしないよ