今日は夫の同僚家族が来た。2時間滞在の予定が倍くらいになっておもてなしに疲れた。「今日はありがとうね」の夫の言葉に「少しでもあなたに良い印象をもってもらえていたら良いけど」と反射的に返して、私ちゃんと妻やってんなと思った。
私「異動先によるけど来年度の育児が心配」夫「んー…」私「ねぇー!きいてないでしょ!」夫「きいてるよー」私「それhearでしょ!私が求めてるのでlistenなんだけど!」夫「…笑」 不覚にも自分も笑ってしまった。
高田馬場で殺された女性、「殺人を肯定するわけでない。ただ、金を借りて恨みを買って自業自得」っていう投稿を別のSNSで見た。通り魔的な犯行だと次に狙われるのは自分かもと不安になる。狙われる理由があったのだと思えれば、自分は大丈夫だと安心できる。そういう心理も働いているのかもしれないけれど、SNSに自業自得だと思いますって投稿するのはやっぱりなんか違う気がするな。
死にたがりのあの人、今どうしているんだろうかとふと思い出した。何度も死にかけて、生きていても半透明のお化けのような人だった。真剣に率直に、死ぬことと生きることについて話し合ってきた。ただ、死について親和性があったから、みんなが悲しむ、いただいた命だからっていう理屈は通用しなかった。ああいう人に、この先どれくらい出会うのかな。引っ張られそうでたまにこわくなる。
映画『怪物』、アマプラで観た。レビューとか考察とか観ない状態で、私なりに考えたことを。(以降、映画の内容あり)ほんと、中盤までは見方によって登場人物みんなが怪物にみえる。だけど全部取っ払って見えたのは、二人の男の子の純真さ。最後の方、台風の土砂崩れで閉じ込められた二人を母親と元担任が助けに来た場面から、急に台風一過の青空の下、走り回る二人の場面に切り替わった。生まれ変わりの旅をするために廃バスに乗り込んでいた二人は、バスから抜け出して「生まれ変わったかな?」「変わってないよ。おんなじだよ」と笑い合いながら山中を走っていく。二人の行く先には橋。秘密基地の行き止まりにあったはずの金網はなく、ただ向こう岸まで続く橋が描かれていたから、たぶん二人は、橋を渡って彼岸に行ってしまったという意味なんだと思った。死んでしまったこととか、それぞれ抱えていた辛さが苦しくて泣けたというよりはどこまでも純真なふたりにとって、生まれ変わりの旅に大好きな人と一緒に出掛けられたことが幸せな結末だったように思えてしまうことに、涙が止まらなかった。すごく良い映画に出会えて、久々の感動だった。
夫「(映画オッペンハイマーを観ながら)なんで頭良い人って浮気するの?」私「頭良すぎて、頭の中の容量が空いてて逆に暇だからじゃない?」夫「逆じゃない?頭が忙しすぎて身体が暇だからじゃない?」逆って何?笑 だから要するに暇なんだろ笑
病休からの異動確定で「出世コースからはずれた」という夫。出世して何したいのかも言えないのに出世に囚われているなんて大変な人だよまったく。与えられた環境でまずは自分が満足のいく仕事をして、そこに評価が伴わないなら、評価が得られる環境を求めて転職してやるくらいの気概を見せてほしいもんだ。
あれヤダ、これ嫌い、それ無理ばかりで、あれ好き、こうしたいが少ない君。文句ばかりの気難し屋とか我儘に見えるけど、外からの色んな刺激を圧だと感じやすいっていうのが多分本質。良い方に働けば感受性の強さや繊細さに。行きすぎは生きづらいほどの臆病さに。誰か安定した人が側に居てくれるといいんだけどな。
社会人なってからずっと自分で働き場所を選んできたけど、今回は初めて神様(人事)がサイコロ振るの待つ状況。自分で〜する→誰かに〜される に捉え方が変わるだけでこんなに心配。職種や地域問わず異動ある人は大変だ。新しい場所で眠れる潜在能力が開花しますよーに…
母の還暦祝いをすることに。立案だけして満足している父、具体的なことが何も決まっていないのに先走る兄… 多分母は今回も「娘を産んでおいてよかった!」と思うことでしょう。笑家族単位じゃなくて、母と二人でうまい寿司屋にでも行きたいなー
もうすぐ育休明けの1年が終わる。どんな天気でも保育園送迎含めて自転車で10㎞移動。病気になれば仕事調整して一人で看病。仕事は独身の同僚達よりこなした。ご飯は一日も欠かさず手作りした。ブラボー!グッジョブ自分!同時に見えづらくなる夫婦としての存在意義!夫もっとがんばれ!