最近、仕事でトイレの清掃をする事がある。「トイレの神様」という言葉がある通り、トイレには神がいるらしい。風水的には家には7柱(はしら)の神がいてトイレの神は一番偉いそうな。ボクの持論では高次元にいけばいくほどその魂は「子供」に還っていくと考えている。他の魂から神と認識されるほどの高次元の魂もまた子供の様な風貌や性格になっているのではなかろうか。便器の蓋を布で拭く時、まるで子供の顔をタオルで拭いてやる感覚におそわれた。トイレの神はもっと偉い神から「君は人の世界に行って便器になりなさい。そして、たくさんの人に愛を配ってあげなさい。」と言われて派遣されたのかもしれない。「うん、たくさん配ってくるよ!」便器の蓋を拭いていたら、嬉しそうな顔が見えた気がして、ふとそんな妄想をした。#トイレ #神様 #トイレの神様 #高次元 #風水
「どんなに先が見えない状況でも笑い飛ばそうと思えばそうできる。深刻になったら負けだ。...という事を教えてくれるのが子育てかもしれない。」youtubeの動画で知った。深いな。確かにそうなんだろうと思いとても感心した。子供いないけど。
アナタハ ネコ ヲ シンジマスカ?「ネコはあなたを愛しておられます」元:「神はあなたを愛しておられます」→ ただし、気分次第。「ネコと和解せよ」元:「神と和解せよ」→ すでに完成された名言。「ネコを信じなさい」元:「神を信じなさい」→ でも、ご飯が欲しい時だけ寄ってくる。「大いなるネコの恵み」元:「大いなる神の恵み」→ 恵み(=たまに乗ってくる、気まぐれなスリスリ、肉球プニプニ)。「ネコに祈れ」元:「神に祈れ」→ しかし、祈っても気まぐれにスルーされる可能性大。「全てのネコに感謝しなさい」元:「全ての神に感謝しなさい」→ どんな気まぐれも受け入れよ。「ネコなくして救いなし」元:「神なくして救いなし」→ 人生の癒しはすべてネコの中にある。「ネコは見ておられる」元:「神は見ておられる」→ でも、たぶん気にしてない。「ネコのもとに帰れ」元:「神のもとに帰れ」→ つまり、早く家に帰ってネコを愛でよ。「ネコの前に跪け」元:「神の前に跪け」→ すでに多くの人間がやっている。「唯一のネコを崇めよ」元:「唯一の神を崇めよ」→ でも、崇めたところで無視される可能性大。「ネコの御心のままに」元:「神の御心のままに」→ つまり完全に人間の意思は無視される。「ネコに背く者、裁かれる」元:「神に背く者、裁かれる」→ ご飯を忘れたら深夜に大運動会。「ネコは絶対である」元:「神は絶対である」→ 反論は許されない(でもたまにデレる)。「ネコに選ばれし者のみが救われる」元:「神に選ばれし者のみが救われる」→ しかし、何を基準に選んでいるのかは不明。「ネコを恐れよ」元:「神を恐れよ」→ なお、恐れなくても問題はないが、爪の一撃には注意。「ネコはすべてを知っておられる」元:「神はすべてを知っておられる」→ でも、たぶん興味はない。
猫が人間の事をでっかい猫と思っている様に、人間もまた神の事を人間の延長線として強大な力を持っている人間と思い込んでるフシがある。だが、結局のところ、地球人が神と呼んでいる存在は大体、異星人なのである。地球人にとっての神々は太陽霊界の人々なのだ。
昔、教えてもらった事一つの意識体の個々の部分、というのはどういうものでしょうか? 「これは説明の難しい問題です。あなた方には〝生きている〟ということの本当の意味が理解できないからです。実はあなた方にとっての生命は実質的には最も下等な形態で顕現しているのです。そのあなた方には生命の実体、あなた方に思いつくことのできるものすべてを超越した意識を持って生きる、その言語を絶した生命の実情はとても想像できないでしょう。 宗教家が豁然大悟(かつぜんたいご)したといい、芸術家が最高のインスピレーションに触れたといい、詩人が恍惚たる喜悦に浸ったといっても私たち霊界の者から見れば、それは実在のかすかなカゲを見たにすぎません。鈍重なる物質によってその表現が制限されているあなた方に、その真実の相、生命の実相が理解できない以上、意識とは何か、なぜ自分を意識できるのか、といった問いにどうして答えられましょう。 私の苦労を察してください。譬えるものがちゃんとあればどんなにか楽でしょうが、地上にはそれが無い。あなた方にはせいぜい光と影、日向と日陰の比較ぐらいしかできません。虹の色は確かに美しい。ですが、地上の言語で説明できないほどの美しい霊界の色彩を虹に譬えてみても、美しいものだという観念は伝えられても、その本当の美しさは理解してもらえないのです」
日本のカルチャーは日本人一人ひとりが持っているものであり、そして、それぞれが異なるものである。それは、日本人一人ひとりが日本のカルチャーを造っている事を意味する。つまり、自分自身が国を造っているという事なのだ。これは他国の人も同じである。