気持ちが疲れた時、会社の最寄駅のホームのベンチで、少し目を閉じたり、缶コーヒーを飲んだりすると、それがほんの十分くらいだけでもちょっとだけ頑張れるようになる。昨日休んだ分、溜まったタスクを消化しないと。今日も頑張ろう。
保育園への登園時、脇で測るタイプの体温計で体温を測ろうと思って表示された履歴が37.7℃で、「え?」ってなった。37.5℃以上は預かれないはずだから、担任の先生に伝えたらちょっと焦ってたから、先生は悪くないから申し訳なかった。親としては預けないことには仕事いけないから、多少の咳や鼻水があっても登園させるのは、お互い様で仕方ないと思ってる。仕事の都合で、家庭環境、それぞれだと思う。どうしても仕事に行かなきゃいけない日もあるのは、自分だって社会人経験長いからわかる。でも、さすがにルール違反はいけない。それで他の子供に風邪をうつされたら、他の家庭の親が仕事に行けなくなるんだよ…
左足が利かないようで、右足と左腕のロフストランドクラッチを目一杯使い、ほぼ横歩きの姿勢で歩いている人がいた。ひどく歩きづらそうだけど、せめて装具とかは作っていないんだろうか、と余計なお世話なことを考える。
「英仏ウクライナ首脳が再訪米検討」っていうyahooニュースを見て、「今から一緒に、これから一緒に殴りに行こうか、ってことですか?」ってコメント書こうとしたけど、流石にふざけていい話題じゃ無いし、ヤフコメは怖いところなのでやめておきました。
結婚して子供が産まれて、きっとこれからも一人の時間はどんどん少なくなっていく。自分の時間は家族のために使うことが増えていくんだろうな。でも一人じゃ無い時間があるからこそ、「一人になる時間」が生まれる。ほんの少しでも、ほっとひと息つける時間は合間に挟んでいきたいな。
久々のリモートワークで、子供を保育園に預けてから始業時間まで余裕があったので、イオンで買い物して帰れた。買い物終えて帰る直前の静かな車の中で、自販機で買った温かい缶コーヒーを飲んで一息ついてたら、ほんの5分くらいだけど落ち着いた気分になった。仕事のお昼休憩とか、子供が寝た後に読書したりYouTube見たりする時間とか、一人の時間はあるけど、それよりもずっと落ち着いた。なんでだろう。
さっきお昼ご飯食べたすき家で通信障害が発生していて、注文の端末には確かに550円って表記されてたランチセット(麻婆茄子牛丼みたいなの)が、実際は750円だったとレジでの会計時に発覚。単純に疑問だったから「えっ?」って思ってスタッフに聞いたら向こうも「えっ?」ってなって、また「えっ?」ってなった。最終的に、別に200円くらいいいかと思ったから普通に支払った。「もともと普通の牛丼セットが550円だから、そこにナスが乗ってるので同じにはならないんですよ」的な説明をされて謝られて、確かに理屈は納得はしたけど、開き直った感じでは無かったにしろ、自分ならもっと言い方考えるけどな、と思った。人によっては詐欺とかぼったくりって騒いでキレる客もいるだろうなぁ…普通に美味しかったしまた食べに行く。帰りに自分の会社のエンジニアとすれ違ったから、すき家で通信障害おきてるからちょっと直してきて、って(もちろん冗談で)お願いしといた。笑
達観してる人ってどうやって育ってきたのかすごい気になる。高2の時のクラスに、イケメン高身長で達観してる人がいた。その人といつも一緒にいる男友達が、彼女の愚痴を言ってる時に「相手から分かってもらおうとしちゃダメだよ。まずは自分が相手を分かろうとしないと。」っていうようなこと言ってて、「え、本当に同い年…?」って思った。当時の自分は「達観してるなぁ」って思ったし、あれから10年以上経った今の自分でも高校生のあの人に勝てる自信ないよ。まぁ、自分はその輪の中に居たわけじゃないんですけどねっ
これは卑屈になってるわけじゃなくて、冷静に自分を客観視して思うこと。自分を商品としての価値があるとしたら、誰もが欲しがるような価値のある物ではないと思う。だけど、ある人が見ても全く価値を感じない物でも、また別のある人が見たら価値を感じる物なんていくらでもあるように、自分はそういう存在だと思う。でも、「ありのままでいいんだ」と言うつもりはなくて、ちゃんと価値を上げる努力はしてなくちゃいけない。少なくとも、自分の子供からしたら、ものすごく価値のある物でありたいと思う。分かって欲しい人には、分かってもらえるように努力はするけど、それで分かってもらえなければ仕方がないと諦める。分かってもらいたくない人には、分かってもらわなくても結構だと思うと、楽に生きていける気がする。
前職で精神的にかなり追い込まれていた時、「事故に遭って怪我でもしたら仕事に行かなくて済むのかな」とまで考えるようになってしまった。でも、「自分が◯んだら誰が悲しんでくれるかな」と思った時に、絶対に間違いなく両親や兄弟は悲しんでくれるだろうと思えたことはとても大きかった。愛を持って育ててくれた両親に、まだ会えるうちにちゃんと会って、実家にももっと顔を出して孫の顔も見せてあげて、今度はもらった愛を返さなきゃな。
「君の事以外は考えられない」「君の事だけしか考えられない」前者は分かる。(ちなみにミスチルの曲名でもある)後者の使い方は別に不自然な言い回しじゃ無いんだけど、「え、考えられないの?」って急になった。「しか」って「〜だけ」「〜のみ」って意味だと思うんだけど、それだと「お前のことだけは考えたく無い」的な感じにならない?とかぐるぐる考えてたら、熊本大学文学部の人が平成14年に論文的(卒論?)なの出してた。ちゃんと目は通してないけど、なんとなく分かった気がする。どうでもいいことでも考え始めると止まらない性格で、なんかおかしく無いかと思ってぐるぐる考え続けてた。#言葉って難しい #日本語
全ては自分の捉え方一つ。色んなところで見聞きするけど、本当にその通りだと思う。ぶーやんが、雑誌のインタビューの時に、ビーバーの曲は「ながら聴きせず歌詞をちゃんと聴いてほしい」っていう趣旨のことを言ってたけど、歌詞を見ただけで脳内でぶーやんの声と曲が再生されて泣いてしまった。ちなみに「ながら聴きせず聴いてほしい」発言の後、すぐに藤原さんが「いや、好きな時に聞いてもらっていいと思うよ。笑」的な発言をしていて、「どっちも分かる〜〜〜」と思ったのを思い出した。っていうか、#superbeaver #じぶんまかせ
まだ薄暗い中でたまたま寝返りを打った妻の顔が近くに来て、なんだか分からないけどそれで目覚めた。妻は綺麗だ。まだ子供が産まれる前、冬に「寒い寒い」と言いながら布団に入ってきてくれて、くっついて寝たのを思い出した。もうあんな日は来ないだろうと思うと寂しいけど、、、妻のこと愛してるんだと改めて思った。割と恥ずかしい言葉でも言えちゃうタイプの自分だから、折に触れて好きとか愛してるとかちゃんと言ってきたけど、また言ってみようかな。
子供の寝顔を見てる時、子供とくっついて寝てる時、何よりもいちばんの幸せ。子供はこの手で触れられる形のある幸せ。(起きてる時はそりゃまぁ大変だけど…)出会ってくれてありがとう結婚してくれてありがとう産んでくれてありがとう(妻へ)産まれてきてくれてありがとう(子供へ)生まれてきて良かった(自分)産んでくれてありがとう(母へ)いろんなのが押し寄せてくる。
明日も子供の看病でお休み確定。妻から時短勤務への不満や「誰も休めない時に私には休まないという選択肢がない」と言われた矢先だから休まないわけにはいかない。打ち合わせ先にも全力でお詫びとともにリスケを依頼。あーあ、今週1.5日しか出勤してないよ。ようやく今月復活した有休も今月だけで4日も使ってる。子育ては趣味みたいに思ってるから、子供と過ごす事自体は好きだし全然いいんだけど、なんだかなぁ…
一方的にLINEで長文で不満をぶつけてきて、「この話してるだけでもムカつくから返信してくるな」とか自分勝手すぎるだろ。こっちだって休み取ったり早退したり、キャリアを半ばを諦めながら最大限に子供の世話してるんだよ。自分だけが割りを食ってるような言い方するなよ。時短勤務してもらってるし、俺が休めない時に休んで子供の面倒見てくれてたし、妻の方が仕事をしたい気持ちを飲み込んでくれていたのは事実。でも、俺も一緒に1年間育休取れるほどお金に余裕はなかったし、今の職場で且つ営業職で時短は正直なところキャリアを完全に諦めるしかないからできなかったんだよ。だからこそ、もう少し子育てしやすい環境への転職とか、職種の変更も本気で考えてるんだよ。正直、俺は仕事も昇進なんかもどうでも良くて、全てはお金のため。冷静になって話し合う機会を設けようと思う。多分この投稿は消すけど、今だけは吐き出したいから投稿。