半年で中退したわずかな高校生活の中、寮の消灯時間がテスト期間中だけ解除され、徹夜で何をするでもなく(勉強しろ)友達と夜更かしできる喜びを噛み締めていたのが印象的。25年近く経ってもその時一緒だった友人達と未だに人生を共にできているので、「同じ釜の飯」というのはよほど美味く炊けているらしい。
昔撮ったフィルムの素材を探しながら、改めてフィルム写真の良さにやられてる。感度がどうとか生感がどうとかって高尚な話ではなく、もっと変態的な意味合いで。撮影後のフィルムには、「対象に一度当たって跳ね返った光の粒子」が感光という化学反応を経て、確かな痕跡として保存されてる。これは光の強度を0と1のデータに置き換えて記録するだけの現代のカメラには絶対マネできないし、そもそもの本質が”保存”と”記録”で似て非なるものだと思ってる。フィルムは買って現像してプリントしてと、ランニングコストは高いし解像度もゆうてまぁそこそこ、それでも、、大切な人の肌に直接触れたであろう光の粒子を捕まえては閉じ込めておける、心を動かした景色を物理的に刻み込める、そんな変態的超技術がフィルムには詰まってる。また、たまには引っ張り出してきて撮っておこうと、思った。
足の怪我をしてからと言うもの、それを心の言い訳にしてあまり走ったりという運動をしなくなりました。仕事でたまに山を登ったり、子供を二人抱えて無駄にダッシュしたりはするけど、基本亀の生活です。一年の半分くらいはスキーをしていますが、あれをなぜか運動にはいれたくない感じです。
20歳くらいから、概ねだいたいハッピー。それもこれも、19歳の時一緒に住んでた友達のおかげ。彼からは気持ちの波風を意識することを具体的にアドバイスされて、もちろん下がることもあるけど、デフォルトのポジションをずっと高いところに持ってきとくことだってできるんだよと教えてもらった。言葉だけだと、ふーん、って感じだけど、その人の生き方と空気を知っていると、素直に受け止めることができた。それからはずっとそうしてる。色んな人に色んな人生を分けてもらった。もし地球上に自分しかいなかったら、きっとつまらない生き物で終わっただろうなぁと思う。願わくば、自分も誰かをご機嫌にしながら生きていきたいなぁ(ニセみつお)
物質的には都会なんですが、精神的には圧倒的に田舎の穏やかさに軍配が上がります。今は田舎へ移住し(映画館がない以外は)最高だと思える環境で暮らしていますが、歳取ったらもう少し都会の方が暮らしやすいかもしれません。
昨日も、今日も、そして明日もたぶん、やったことのないことをずっとやってる。誰がやりなさいと言ったわけでもないことをずっとやり続ける毎日。そんな自分の人生を、ちゃんと愛おしく思いながら生きよう。よしよしいいね いいね。
運転中眠すぎてめちゃめちゃ久々に宇宙通話にトライしてみたら、1人目はギリ英語が話せるモロッコ人女性、ギリ英語が話せる僕と、ギリとギリの会話、頑張ったからちょっと目が覚めた。2人目は京都の学校へ通う韓国の学生さん、とても頑張っていて応援したくなった。ファイッこの時間は異文化交流が捗るのかな?たまたま?お二人に感謝、無事到着🚗