
sun☀️
どんな感情もあっていい
いい、わるいはないのだということを
再確認するための場所🌱
音楽
猫
話を聞くのが好き
料理
カラオケ
歌うこと
アート
自炊
インテリア
読書
HSP

sun☀️
台所は複数の女性で舵をとると
めちゃくちゃ上手くいかないねこりゃ!!
他の人のやり方に従い
各々が少しずつ妥協しあった結果、
非合理の連続みたいな段取りに
なってしまった😱
其々が其々の計画を
ぶち壊しあってしまうことが
よく分かった…
誰も悪くなかったんだ。
本当に誰も悪くない。
でも従順なしもべでない限り、
キッチンに複数人で立っては
いけなかったんダ…
次回からは女性の料理長は
ひとりにして、
従順タイプの男性を
アシスタントにつけよう。
そうだ、これで解決だ笑

sun☀️
昨日頭でぐるぐるしていたことが
朝起きるとスッキリしている。
脳は寝ている間に色々と
残す残さないを整理してくれている
んだって。
脳の仕様よ、ありがとー!

sun☀️
頭をたくさん使った時は
呼吸が浅くなる。
キラキラな空気をすーっと吸い込んで、
腹奥のモヤモヤをハァ〜〜吐き出すのだ。
絶えず波打っていた水面が
落ち着いていくように。
揺れに揺れていた心の振り子が
だんだん中央で止まるように。
胸騒ぎは静まる。
身体も弛む。
ちょっとさっきより楽になったかな?
今日も心地よい1日を🌱

sun☀️
私が思うダサい奴とは、
自分の非を認められない人。
自分のことしか考えていない
幼稚な人のこと。
でも、
もし良いも悪いも本当は無いのなら、
別にダサいことしてもいいのかもしれないし、
幼稚なことを大人がしたっていいのかもしれない。
それが自分の中にある
自分で否定している私の一部であるなら。
それならば今日は
私はみんなのことは考えない。
挨拶もしない。貢献もしない。
拗ねた人になる。
そう、私はいま拗ねているのだ。
よく分からない怒りが籠っているんだ。
それでいいじゃないか。
無理して大人になろうとするから
おかしなことになるんだ。
子どもに学べ。
目の前の子に意味もなく叩かれたら
怒るのは当然だろう。抑圧なんて要らない。
大人になろうとなんて
しなくていい。
それが1番相手の気持ちを理解
することに繋がるのだから。

sun☀️
サンボマスターのさ、
「できっこないをやらなくちゃ」を
かけながら毎日ピョンピョンしたら
心も肉体も健康になるのでは?!?!!

できっこないを やらなくちゃ

sun☀️
お互いに手を差し伸べあって
仕事が出来た。
でも最近忙しいから、
誰の〜が悪い、という考え方が
同僚の中で強まってきており、
私もその波にのまれそうになっている。
昨日その女性の同僚から、
もうあの人の面倒は見切れないと、
仕事も一人前にできないし勤務態度も悪いと
いう話があった。
確かにその人は手帳持ちの方だから、
実務的な面では手がかかる人だ。
でも私は彼が培ってきた
穏やかな人間性に日々助けられている。
目標設定シートには決して載らないけど、
ソフト面での彼の貢献度は高いと思う。
忙しさゆえにヒステリックに
なっている同僚の意見の方が正しいとは
私は思わない。
でも、手帳とかそう言う話じゃなくて、
確かに彼にも悪いところはあって、
悪いというか、例えるなら
自分の非を認められず
謝罪会見で謝れないタイプだ。
私はどちらかというとこれが
一番の原因だと思っていて、
ちょうど昨日も
みんなが忙しい中、
彼には到底捌ききれない程の仕事が
溜まっている状態で、
みんなも自分の分を終わらせるのに
手一杯な中彼のことも気遣って
能動的にフォローに努めている中、
なぜ一番仕事が溜まっている本人が
在宅勤務をしてるのかと聞いたら、
返ってきた言葉は全部、
営業の返事が遅くて〜みたいな言い訳だった。
がっかりした。
そういうところだよ!と思った。
だから私は
その点が大変残念だという旨を
そのまま伝えた。
こういうバチバチを避けたがる人は
正直多いと思う。
でも私は、
相手にとって耳の痛い話であっても、
たとえかなり年上だとしても関係なく、
私が伝えたいと思ったことは伝える。
それは腹いせとかそういう
次元じゃなくて、
こういういざこざ自体が
そもそもあっていいものだと思っているから。
それにこうやって言葉にして
外に出すことで、
私自身も自分の感情に
気づきやすくなるから。
あぁ、寄り添ってくれる人ぽい振る舞いを
序盤ではしていたけど、
腹の奥では自分こんなに怒ってたんだなって
昨日も外に出してみて分かった。
これで相手が改心するのかしないのかは
正直どちらでもいい。
別に良いも悪いもないのだから。
自分が大切にされていないと思ったら怒る。
ただそれは自然なことなんだ。

sun☀️
もう現場がパンクしてみないと
上は分かってくれないと言う。
でも私はそこにどうも共感出来なかった。
なんでか分からなかったけど、
いまふと分かった。
パンクするまでやりたくない!!
という心の声だ笑
文字にすると当たり前すぎる。
なんで逆に分からなかったんだろう。
これがいわゆる頭で考えすぎって
やつなのか!
現場が回らないことの証明は
自己犠牲的なパフォーマンスを
することではなくて、
適切に休みを入れることだ。
その休みは甘えなんかじゃ
決してないのだから。
コロナになったり睡眠障害に
なるところまでいかなくていいはずなんだ。
ふぅ、言いたいことがまとまった。
閃きに感謝!🌟

sun☀️
今まではのらりくらりと
やっていたつもりだったけど、
私の場合、
心に余裕がなくなってくると
不安が強まるタイプ。
決め事がなく曖昧でフワフワしたままに
なっている状態がすごく苦手で、
はやく決めて欲しいって
気持ちがどんどん積もる。
そのせいで空回りもし出すし、
気付けば身体も悲鳴をあげている。
今日も頭が重くなるくらいには
疲れていたみたい。
なにがそんなに不安なのだろう。
把握しきれないことで、
色々と問題が起こるのを
恐れているのかな。
責任感が強いから、
やらなかったら
自分のせいだって思っちゃうのかな。
結局首が締まるのは自分だから
ってのも理由のひとつかもしれないね。
それは確かに嫌だよね。
とはいえいざパンクしてみないと、
上はいけるものだと勘違いしてしまう
かもしれない。それも困るなぁ。
仕事を終わらせる終わらせないは
もうどっちでもいっか。
それよりかは、こういった状況で
いかに自分を笑顔にしてあげられるか。
これだけでいいや!
私、今日もよく頑張ったね。
本当カッコよかったぞ!
ゆっくり休んでね。😉

sun☀️
切ろうかと思った。
下手に情が湧く前に
終わらせてしまおうかと思った。
でも、結果的にしなかった。
なぜなら会った時、
お花を一輪買ってきてくれていたから。
なぜか私のお腹がとても痛くなって
お出かけの計画がなくなっても、
優しく撫でてくれたから。
一見何も進展がないように見えても、
一生懸命彼なりに
私と向き合おうとしてくれているのが
今日でよく分かったから。
何気ない愛情と事勿れ主義は諸刃の剣。
私がどう受け取るか、次第なんだ。
ベースに感謝を持っていれば
見誤ることはないだろう。
相変わらず不安定な私だけど、
今日も優しくしてくれてありがとう。

sun☀️
いじけられるとすごくモヤる。
でも、そこを妥協して付き合っても
良い思いはしないことは経験上知っている。
と同時に良心も痛むのだけど。
家族といえど一人間同士。
嫌なものは嫌だ。
家族だからという理由で
プライベートを勝手に奪っている自覚もなければ
勝手に奪われていることに気付きつつも結局は従うはなぜなのか。
あなたが悪い、私は悪くない。
私だって我慢してる。
言うことを聞いてくれない。
なんでいつも私ばっかり。
そんな被害者ごっこに
まきこまれてたまるか!
それを選んでいるのは
自分自身だろうが。
それぞれのわがままを
それぞれが我慢しあう関係性なんて
私はごめんだ。
誰かの機嫌取りだったり
伝書鳩だったり
関係とりもち係に私を使うな!!
私は私のしたいことを、
私の気持ちを優先するって
決めてるから。
上手いようにお互いこき使い合う関係性に
飲み込まれるつもりはサラサラないんだ!!

sun☀️
からなのか、
あぁ私いま悲しいんだな、とか
誰かに慰めて欲しい気持ちがする、
みたいなのがより自分に向けて
深くくる感じがする。
誰かってのは他人の数ミリでも
ズレたアドバイスとかではなく、
何にもしないでくれる人、
そのままでいられる安心感、
つまりは自分。
もう歯をガシガシ磨くのはやめた。
歯ぐきがかわいそうだから。
冷たい足を放置するのもやめた。
手で暖めてあげると足がちょっと喜ぶから。
凝った身体をぐいぐい伸ばすのもやめた。
少しだけで充分気持ちよく伸ばせることに
気付いたから。
まだまだ、置いてきぼりになっている
身体のパーツがたくさんある。
少しずつ、目を向けていくからね。
もうちょっと時間をちょうだいね。

sun☀️
まるで10段しか登っていないかのように
捉えてしまう人は多くいると思う。
塵も積もれば山となる。
だから、たとえ進んでいる感覚が僅かでも
やる前とやった後では確実になにかが違う。
本をぱらぱらーっと開いて、
気になった一言に目を通すだけでも大違い。
一冊読破しなければ得られないなんてことは
微塵もないのだ。
こんなのなんになるんだと思えるものほど
後ほど大きく化ける。
だっていきなりは誰だって怖いもの。
そんなあたまりまえな事を
つい私たちは忘れてしまう。
今日は相手の目を見てお礼を言おう。
今日もエスカレーターじゃなくて階段を登ろう。
そんな少しだけ良いなと思うことを
日々積み重ねていくのが愛おしいんだ。

sun☀️
ワークショップに参加してきた!
コーチングの神と呼ばれている男性が
オススメしていた書籍の著者と今回お会いした。
カウンセリングやコーチングなどの
セッションは、相手の悩みを解決したり
望みをはっきりさせることを価値として
提供するものだ。
そこには5w1hでの質問だったり、
なんとなくを言語化してあげるなど、
言葉を扱う上での技術が必要だ。
でも実は言語的なやりとりよりも
かなり重要な要素を占めているのは、
無意識の領域の情報。
つまりは五感だったり、
身体の動きからくる情報を
コーチは観察し続け、
かつ頭でもロジックと直感を用いながら
話を進めていくのだ。
あ、この話題だと瞬きが多くなったな。ストレスな話題なのかな。
ちょっと相手の身体が後ろに引いた気がする。
興味ない話題なのかな。
目の皺がより深くなったな。これは本当に好きなんだな。
楽しいって言ってるけど頬の筋肉が固そうだから、本心じゃないのかも?とか。
言語化するとこうなるけど、
当たり前だけど常に相手と
会話をしながらなので、
そんな気がするみたいなぼやぼや感を
もったまま、
そして髪の毛一本のゆれをも
1秒たりとも見逃さないようにしながら
膨大な情報を観察し続ける。
その情報が蓄積したとき、
潜在意識の領域で、あ!と
点と点がつながる直感が降りてくる。
、、という知識は座学で得てきた。
でも今回身体をつかったワークに
参加してみて知ったのは、
相手は自分の鏡であるということ。
こちらの身体が緊張していたら
相手の身体も然りだ。
逆にこちらが心を開けば
相手も心を開いてくれる。
それは頭と言語でどうにかできるものでは
なくて、
無意識な身体の使い方が
相手にダイレクトに関与する世界。
相手がこうだから、じゃなくて
何事もまずは自分から。
自分自身の力みに気付くこと。
心=身体の声を耳を傾けてあげること。
どの身体の部位も見捨てず目を向けてあげること。
そういった自分の身体と信頼関係を築くことが
結果的に相手の身体を解放し、
相手の本当の心の声も拾ってあげられる
ようになれる。
強引さは要らない。
優しく、7割くらいの可動域でいい。
強張った身体を優しく解すことが
実は上達するに1番の近道なのかもしれない😌

sun☀️
1%の人が価値を感じてくれれば
それで充分なんだ。
その1%の人たちのことを
もっともっと考えて、
もっともっと思いやるんだ。
既に私の中にあるもので
充分力になれるに決まってる。

sun☀️

sun☀️
先週の間は
無意識に相手に合わせていたことで
忘れかけていた自分を取り戻すような
踏まれた雑草がむくむくと
自然回復していくような
そんな日々だった。
そこからもっと嫌なことは
感情的に強く伝えた方がいいと
アドバイスを各所から貰った。
でもどうもまだその感覚はしっくりこない。
むしろ自分を肯定するような
コメントをたくさん書き出してみたら、
不安がかなり小さくなってきて、
今度は何故か感傷的な気分になってきた。
キノコ帝国のラストデイを
先日カラオケで歌ったら
ぼろぼろ涙が出てきて
なんやかんや私はずっとこの人と一緒に
いたいと思ってるんだなぁと
それで気付かされた。
何ものかになろうとしてなれなくて
その相談も出来なくて
ひとりで抱えこんで
結局突然折れてしまった。
ただ、辛い時に
頼らせて欲しかっただけだったんだ。
本当にやりたいことなのかを問う時に
最適な質問は、
死ぬ前に後悔しないか?
らしい。
あれ、おかしいな。
この人と結婚したら
変わり映えしない日常になってしまう。
私の才能の芽が摘まれてしまう
んじゃないか。
そう思って拒否反応が出てたはずなのに、
いま起業から逃げている今、
心の底からやらないことで後悔するか?
という質問に即答が出来ない。
ラストデイは何気ない愛おしい日常が
続きますようにという
はかない祈りのような歌。
この歌で涙が溢れるということは
もしかしたら
私は何者かになりたかったんじゃなくて
愛おしい日常を一緒に過ごしたいというのが
本当の嘘偽りない本音だったんだろうか。
もちろんこの先怒鳴り合いの喧嘩も
出来る仲にはなりたいし、
また日常に慣れて
相手に幻滅することも色々あるのかも
しれないけれど。
この涙はなんの感情なのかも
よくまだ分からないけれど。
今の今は
そんな気持ちなのです。

sun☀️
テーマだと思う。
いまここに書くのも
実は結構な勇気を出している。
でも、周りからの目線を恐れて
そんな自分を拒否するのは
今日でもう辞めにしようと思う。
なぜなら、
私が見たり会ったりしてきた
スピリチュアルを好きな人の殆どは
みな愛で溢れているからだ。
誰よりもまず自分を愛し、
誰よりも無性の愛を与えられる人になろうと
日々努力している。
本気で世界平和を考えているような
人もいたんだ。ほんとに。
人間は理解出来ないもの
=怪しいとか危ないって
すぐに結びつけてしまう生き物。
それは
予測不可能な動きをする不審者と同じように
目に見えるものであっても実は同じ話で。
その人が実は知的な障害があるとか
じつはどうしても伝えたいことがあっての
致し方ない手段だったとか、
相手には相手なりの事情や想いが
あることもある。
でもそんな不審者に近づくなと
止めてくる人の気持ちも分かる。
それはあなたに危ない目にあって
欲しくないという愛からくるものだから。
心配をかけるようなことをしたことは
ごめんねと思う。
でも誓って、
スピリチュアル関連で学んできたことは
私の人生の糧になっていると思うから。
それを否定されると悲しいんだ。
時に魔法みたいな響きで
怪しさはあるかもしれないけど、
よくよくスピリチュアルを知ってみると
思ったより泥臭い部分もめちゃあるし、
かと思えば、
心持ちや見方を変えただけで
がらっと生きやすくなったこともあった。
そう言った意味では、
現実世界と大した差はないとも言える。
つまるところ、
目に見える世界だって
目に見えない世界だって、
数ある星くずのひとつであって、
二項対立みたいな構造じゃないんだ。
きっと。
私は絶対にうまくいく。
みんなを大きな愛で包む人になるんだ!
誰にどう言われようと
どう嫌われようと、
それは絶対に
誇りに思っていいことなんだ。

sun☀️
色々身近な人に相談したところ、
私が中途半端に嫌なことも
諦めて受け入れてしまっている
のが良く無いらしいことが分かってきた。
私は自我が強いんだろうなと思ってたけど、
一方で相手の方がきっと正しいのだろうな
みたいな決めつけ癖も、
正直抜けきれていなかったのかもしれない。
中途半端に迎合しないで、
目の前で皿を割るくらい感情を出した方が
いいよ!と言われたけど、
私にとってそれはかなりハードルが高く感じる。
まぁ確かにクッションを投げるくらいは
先週むしゃくしゃした時に一瞬やったから笑、
それに近いっちゃ近いのかもしれない。
本音の本音は
その1億倍くらいムカついていたり
辛い気持ちが蓄積しているのかもしれない。
ただ一方で、
感情的に怒る祖母が苦手だったことや
昔の彼氏がブチギレて
目の前でギターを破壊したシーンを思い出すと
やはり怒りを出すことは恐怖に思える。
でもそうやって逃げた先には
どうやら私の幸せもないようだ。
行くとこまで行ったら
二極しかない。
より仲が深まるのか、
決裂するのか。
その心構えに時間はいるのか、
はたまたいらないのか。
もうなにもかも分からない。
とりあえず今日は返事を保留にして寝よう。
今日もよく頑張ったね。
お疲れさま。

sun☀️
え、根気とかじゃなくて、
技術なん??
と思った時、
私の中の当たり前が
うっと軽くなった気がした。
やってみた→やらなくなった
は鬼のように繰り返してきた。
1→0ってやつ。
でも、実際はそうじゃない。
それは
1→0→1.1かもしれないし、
0→0.9→0としているだけかもしれない。
1→xかもしれないし、
1→🌷とか
色々パターンはあるのかも。
この中でどれが1番日常に
無理なく溶け込むのか。
健康は目的じゃなくて手段。
朝ごはんを食べた方がいいから食べるのか?
そうじゃない。
1日を快適に過ごしたいから食べるんだ。
朝ほっこりタイムを作りたいから食べる。
でもそもそも快適な毎日自体、
目指さなくてもいい日もあるかもしれないな。
つまるところ何のためにやってるかなんて
どうでもいいのかもしれない。
最初のうちはイヤイヤでも
いいじゃんね。
良さが分かる前なのだから、
やらされてる感がでるのは自然なこと。
それを続けた先になにが見えるのだろう。
楽しみだなぁ

sun☀️
「わたし」を知るには、
「あなた」が必要なんだ。
(焚火のことば p52より)
恋愛は自分を知る為の修行だ、
みたいな格言?は聞いたことがある。
恋愛に限らず人間関係の悩みが出ると、
なぜあの人はあぁなのか
どうしてこうしてくれないんだ等
相手にフォーカスが当たりやすいけど、
逆に言えば、
私にはそうと思えない理由があって、
そこには大切にしている何かがあったり
脅かされそうで怖い何かがあったりする。
内省マスターの人なら自分ひとりで
その何かには気づけることもあるだろうけど
普段蓋をして過ごしている中、
自力でそこに触れられる人は相当少ないはずで
というか触れられたら感情が大変なことに
なるからわざわざ蓋がしてあるわけで。
それは無意識に自分を守るためなわけで。
誰かと意見がぶつかった時、
自分では分からないところで
その蓋が疼き出す。
モヤモヤはきっとその合図。
感情が出るには順番があるらしい。
1番表層にあるのは怒り。
次が悲しみ。
それが出きった後にようやく
楽とか幸せな気持ちが
外に出られるようになるという。
いい人でいたいと思う人ほど
怒りを出すのは怖いことだと思うよ。
怒りは人を傷つけるんだと過去に学んだ
ことがある人にとっても、
とても怖いことだと思う。
でもそこを出してあげない限り、
あなたの中にいる悲しみも、
心の奥にある本当の望みも
陽の目を浴びることができない。
怒りで人を傷つけたっていい。
怒りで人を傷つけることを
自分の身で体感した時初めて、
トラウマになった過去のあの人の気持ちを
身を持って理解できるのだから。
そっか、そんなに怖かったんだね。
そんなに不安だったんだねって。
人間誰しもそういう時ってあるんよなぁ。
そうやってあの人も、
今の自分も、許していく作業がいる。
大丈夫。
いまあなたが棘のある言葉を言い放った相手も、
どこかでこれを理解できるタイミングが
きっとくるから。
その経験は相手の方のものだから、
あなたが責任を追うことじゃない。
世界は循環しているから、
別の方から受けたものを他の人に渡す。
その繰り返しで成り立っている。
だから、大丈夫だよ

sun☀️
当たり前に
出来る人はかっこいい。
そんな言葉に感銘を受けて
今年のテーマのひとつにしている。
でもこれの際どいところは
気づかぬうちに
完璧主義にのまれそうになることだ。
何を当たり前とするかは、
常識ではなく自分で決めること。
どこまでがちきんとやることで心地よくて
何処からがまぁいいやの方が心地よいのか。
この視点であらゆる行動を
見直していく作業ともいえる。
でも
フラットに構えられているかと思いきや
そうではない部分もあったみたいで。
というのは仕事が手抜きになって
きている同僚を見ると少しモヤっとするから。
でも今ふと気付いたのは、
その人なりに緊張やストレスで凝固した
心を緩めているフェーズにいるんだということ。
その同僚は元々は程よいルーズさがある人
だったけど、
責任のある仕事を任されるようになってから
だんだん他の人のミスも許せない気持ちが
強まっていたように見受けられた。
今はおそらく
そういった環境だったり
なにより余裕のない自分自身への疲れが
一気に来始めたんだろうな。
そんな姿を見てモヤっとする私も
もしかしたら無意識に我慢していることが
多いのかもしれない。
日本人は頑張るのは上手だけど
頑張らないとことは下手っぴだ。
そんな時こそかけるべきは、
相手にも自分にも
お疲れさま、という労いの言葉なんだ。
緩むは許す。
溶けるように、やわらかく😌

sun☀️
ふと行きたい時に付き合ってくれる同僚が
いて幸せだ。
モヤモヤした考えを吐き出せる場があって
幸せだ。
まっすぐ本音を言ってくれてありがたいと
言ってくれる同僚がいて幸せだ。
安心感があるから、
私は職場で伸び伸びと力を発揮出来る。
不満に思って先日同僚に伝えたことも、
ちゃんと覚えていてくれて、
形を持ってお返ししてくれたのも
とても嬉しい。
とっくに過ぎた誕生日を祝おうと
企画してくれる同僚がいて嬉しい。
私は今、とても幸せだ。
いつも本当にありがとう😌

sun☀️
そんな広告を見て、
ふわふわと取り止めもなかった気持ちに
輪郭が突然現れた。
仕事にしようと起業の勉強をして
実践も頑張った。
でもビジネスにする上で
弱い自分や勇気のない自分のまま
自信があるように見せるのはとても辛かった。
意図せずクライアントを傷つけてしまったり
信頼してくれた方を自分の弱さから
裏切るようなこともしてしまった。
もちろん腕を磨くには失敗はつきものであり、
むしろ成功者ほどそういった経験は多いのかもしれない。
でも、それを乗り越えられるだけの
分かりやすい意欲が私には無かった。
そして逃げるようにして
ここにやってきた。
相変わらず表現することは好きだ。
歌も好きだ。
最近懐かしい歌を歌うと
当時は気付かなかった歌詞が沁みたりして
私も変わってきているんだなと思う。
歌うことで少しだけ解放された今、
ちろちろと燃える青色の炎が
私の中で光った。
そうだね、やっぱり
聴くことを仕事にしたいよね。
その気持ち、忘れないでいて

sun☀️
パートナーの前でありのままでは
いられていない自分に限界がきていることに。
仲直りはこの前出来たと思っていた。
自ら本音を伝えることをモットーとしていれば
なんでも解決していけると思っていた。
でもよく考えたら、
確かに前回は悩みと一体化していた自分を
客観視されることで悩みから引き剥がすことは
出来たけど、
とはいえ私の苦しさとか理解して欲しいこと
についてはリアクションも共感もなかった。
本音を伝える時って自分の弱みを見せるって
こととほぼ同義だと思っていて、
勇気を出してもダメだった時
次回また勇気を出すのが億劫になる。
冷め切った夫婦関係とかはきっと
この辺りを放棄した2人なのだろう。
私はそうならないようトライはしたけど、
アウトプットが苦手気味なパートナー相手に
既に心が折れかかっている。
かつて理由も言わず不機嫌になるところが無理
と言われて別の方に振られたことがあるから、
極力自分の機嫌は自分でとれるよう
努力をしてきたつもりではある。
でも、やっぱりついそうなってしまう
自分が今もいる。
(必ずしも悪いことではないと
今は思っている)
そういう態度になってしまうのは、
私にとっては興味深い話を
遠慮なくしまくっていたら
興味のない話はやめて欲しいと
言われて以来、
苦しくてもその類の話は
出来なくなってしまったから。
私のことは応援したいが
私のやっていることには理解出来ないと
言われたこともあるけど、
それは何が違うのか、正直よく分からない。
自分的にはそういう自分に価値を感じているし
誇りに思っている部分があって、
でもそこを共有出来ないから
彼と一緒にいる時の自分は
惰性で一緒にいるだけの彼女、
みたいな気分とでもいうのだろうか。
倹約家な彼に合わせて物を欲しがらない彼女。
親に紹介しやすい安定型の好青年。
自由が制限される感覚。
いつも世界を広げるのは私がやらなきゃ
いけないような負担感。
自分にない安定性に惹かれ、
一方でその安定性に嫌悪感が出てくる
これはなんだ。
でも逆にいうと、
彼が惹かれている私は
私が思い込んでいる自分の価値とは
別にあるということなのだろうか。
どちらがありのままの私なのだろうか。
とりあえず、今日も1日お疲れさま自分。
よく頑張った。

sun☀️
これは考え方の収納ダンスのようなもので、
例えば心理学でいうマズローの欲求5段階説とか
MBTIもそう。
どういった捉え方でこの世界を見るかは、
ありとあらゆるフレームがある。
そのフレームは実は諸刃の剣で、
分類することでより世界の理解に役立つと同時に
自分が知らないものについてはすっかり無い
ものとして無意識に扱ってしまったり、
本当は異質なものでも、こちらがもっている中で
比較的似ているものに結びつけて解釈してしまう
恐れがある。
当の私も色々勉強する中で、
たくさんのフレームを得てきた。
が、同様にたくさん勉強してきたであろう
人の話を聞くと、こちらは知らないフレームが
相手にとってかなり考え方の大部分を占めて
いるのだなと、この前思った。
何かのフレームを知ってその通りだなと
思ったことには、
それをさも世界の当たり前かのような言い回しを
周囲の人にしてしまうことがあるけど、
この世は
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない
の必ず両側面があるのが真理だ。
その両側面を知っている人ほど、
今の私が持っている考え方はこうこうです、と
自分と相手が同じでは無いという前提だったり、
今の自分と今以外の自分をも区別する言い回しに
自然となる。
物事を客観的に見るというのは、
ふとした時に自分がしている考え方自体を
「…とは限らない、か」と見る姿勢のこと。
相手が怒っている。
私のせい…
とは限らないか。
子供が受験に落ちてしまった。
私の指導が悪かった…
とも限らないか。
そう、これくらいのラフさでいい。
事象は色々な要素が絡み合って起きている
こともあるし、
100%相手側が原因なことももちろんある。
冷静に考えても自分のせいだと思うなら
それでいい。
失敗は学び。
失敗はギフト。
何をしたらいけないのかを
明確に教えてくれるもの。
数ある落とし穴を一つずつ確実に
埋めていける体験。
相手の経験は相手のもの。
私の経験も私のもの。
どう感じるか、何を学び取るのかは自分次第。
この世は無駄なく出来ている。

sun☀️
真っ先に飛び込んでも
欲しい結果は得られない(とは限らないが)
不安定なもの、分かりにくいものにこそ
真の安心と普遍性があるという逆説
じっくりと費やす価値のあるもの
そこに飛び込む勇気こそ今我々には必要なのだ
何なんだろうこの時間は
無駄なんじゃないか
一体何をしているんだ自分は
それでいい
それがいい
答え合わせを楽しみに待っておけ😉

sun☀️
ひとつは、感じている間は
自分と向き合わずに済むこと。
そしてふたつめは、
解決から逃避する効果があるということ。
ふたつめについては
逆だと思う人もいるかもしれない。
反省しようとしているじゃないかと。
私は誠実にやっているつもりだと。
違う。
全然、そうじゃない。
一緒くたにされることが多いけど
反省することと罪悪感を持つことは
全くを持って別事だ。
罪悪感は1ミリも要らない。
罪悪感を持っている時、
人は自分にのみベクトルが向いている。
言い方を変えると自己中な状態、
ということだ。
自分がどう見られるかということだけを
ひたすら考えている。
罪悪感を持ちながら
思いやりの心を持つことはできない。
あなたは可哀想な人じゃなくて
誇りを傷つけられただけの人なのだから
可哀想な私ごっこはもう終わり。
そして自称被害者のふりして誰かを加害者に
仕立て上げるのも終わり。
被害者も加害者も本当はない。
あるのはそれぞれにどう感じたか、
という違いだけであって、
そこに良いも悪いも、
正しいも間違っているも本質的には無いんだ。
被害者でいる果実は甘い蜜のようで
手放すのは惜しいかもしれないけど、
どうか手放す勇気を持って欲しい。
建設的な解決をしていったのならば、
表面的ではなく、本当は望んでいたことが
ちゃんと手に入るように世界はなってるから。
本当だよ。
でももし自分と向き合うのが辛いときは
自分と向き合えない自分を許すところから☺︎
どこかが震えたり、
じーんと暖かくなったり、
何かが緩む感覚があったりと
なんかしらの変化を感じたなら、
その感覚で合ってるからね。
今日もあなたが笑顔で過ごせますように🌱

sun☀️
とある食材や用途に限定した商品が多く
販売されているけれど、
私は一台で何役にもなる道具の方が
好きかもしれない。
例えばヤカン。
あいつはお湯を沸かすだけじゃない。
空間の保湿もしてくれるんだ。
それに、うまく引っ掛けておけば
蒸しタオルが作れるかもしれないし、
その熱でシャツのシワも
頑張れば伸ばせるかもしれない笑
田舎にあるような石油ストーブもそうだ。
鍋をあたためたり、
サツマイモやみかんを焼いたりできる。
暖かいところは人が集まるから、
もしかしたら集会所的な役割もしてるかもだし、
火をつけていなければ椅子にもなりそう。
お箸もそう。
炒めたりお味噌を溶いたり盛り付けたり出来る。味噌マドラーでは炒められないし盛り付けも難しいだろう。味噌を1日100回溶く仕事があれば便利かもしれないけど笑、汎用性のあるデザインの方が美しいなと個人的には思う。
でももしかしたらこういった便利グッズたちも
発想によってはたくさん使い道が
たくさんあるのかもしれないね。
味噌マドラー、
あなたなら他にどう使いますか…?笑

sun☀️
どうしよう!そのまま来てしまった!
そんな時、諦めるのはまだ早いのだ。
その思考とはずばり、
これって…何かで代替出来ないのか?
という頭を常に持っておくと
案外なんとかなることが多い。
例えば私の場合、書類を忘れて出先のコンビニで印刷したら、パンチ穴を開ける道具が手元にないと気付いたことがある。
私のミスで忘れたのにまたミスを重ねてしまう!
やばい〜!
と思う前にこう考える。
どうすれば穴が開けられるのか?
その角度で考えたらふと閃いた。
そうだ、コンビニの人にダメ元で聞いてみよう。
そしたらあぁ、いいですよと
貸してくれた!ありがとう世界!
先日も泊まりキャンプであった。
私がガスコンロとカトラリー類と油を忘れ、
相方がコップとクッカーセットとガストーチを忘れ、調味料に至っては塩しか持ってきていなかった。(ちなみにポータブル充電器の接続ケーブルも忘れた)
何をしに来たのかはさておき、
脳みそをフル回転させた結果、
やはりなんとかなった。
着火はライターでなんとかなったし
割り箸はスーパーで貰えるし
ローストビーフの素の力で
ご飯もかなり美味しくできた。
焼肉は案外鉄板に張り付かず
肉の油でなんとかなったし、
炒め物はメスティンの蓋で出来たし、
なんなら割り箸を折っていい具合にいれたら
プチ肉まんの蒸し器にもなった。
携帯の充電も、ライトがモバイルバッテリーとしても使えるタイプだったのでなんとかなった。
え、むしろ完璧すぎないか?
と思うくらいに近辺が代替案で溢れていた。
ひとつ欲を言えば、
醤油、くらいは欲しかったな。。
とはいえ、何とかなるもんだと思った。
むしろ無い方が、創造性が高まって楽しい。
だから困ってもなんとかなるし、
無い方が楽しくなることもあるということダ

sun☀️
そのなも、横砂時計理論。
なんとなく一つのことをやり抜けない時、
私に生じた心理としては、
可能性を限定したくないという
意識的であり無意識的でもある
心の奥にある抵抗だった。
でも、そうじゃない。
砂時計を横にしてみると、
一見くびれのところでぎゅっと狭まっている
ように見えるけれど、
そのあとぶわっと広がるのが砂時計⏳
そして以降先へ砂が満たされていく。
(この際重力は無視なのだ)
くびれのところでなにかひとつを磨く。
そしてそこから派生して広がるように
きっとこの世はなっているのではないか。
今までたくさん人生の転機を迎えて
のびのび暮らしている人を見てきたけど、
なんかそういう頭で見てきたものと
今回の直感は違うというか、
初めて自分事として捉えることが
できるような気がした。
その窄まったひとつを探す鍵のコードは、
きっとワクワクなんだ。

sun☀️
自分の好きなタイミングで
お水が飲みたいだけ飲めて、
行きたいときにトイレに行けて、
自分のタイミングで休憩に入れるお仕事って…
実は貴重なのかも〜!
本当に幸せだなぁ☺️

sun☀️
いっている自分がいる
飲み会のノリだと頭ではわかっているのに
とある言葉に傷ついてしまった昨日
バカとかブスとかハゲとか
お笑いネタにされがちな言葉だけど
それを笑いで弾き返せるほどの自信がない
ことが露呈してしまった気分
冗談が通じない子みたいに思われるのは
仲間はずれみたいで嫌だったけど
いざ言われたら言われたで
まっすぐ喰らってしまう己の繊細さよ、、
そういう容姿いじりネタが笑えるのは
その奥に親しみとか愛がある時なのかなって
思う
それを形だけで真似されると
ちょっとしんどいのかも
こういう時に見る
元男性の自信持ちなさい系美女YouTuberは
とても心が温まる笑
自分の美しさ誇ってこう

sun☀️
これからも「普通じゃない自分」に
向き合っていきたい
これが生きるを楽しむってことなのか
普通じゃない自分のネガティブな面を
死ぬほど見てきた彼には
例えそれが障害によりとある形では
表現できなくとも
一方で俯瞰的視点や内省力に
大きな磨きがかかっている
それは豊かさだ
そして彼は
マイノリティとして生きる大変さについて
ただあるものとして述べ、ジャッジはしていない
憂いても現実は変わらないことも
実感として知っているのだろう
そんな中で
向き合っていきたい、という
ポジティブな言の葉に
かすかな希望を感じた朝だった。
彼の目にはどんな世界の
絶望と希望が映っているのだろうか😌

sun☀️
普通になれない苦しさを感じるときもあれば
普通な自分にがっかりするときもある
当たり障りのない生き方をしている人を
みると嫌悪感が出るのに
ふと自分を見ると
当たり障りのない人生を送っている
日々何かしらで頭をいっぱいにして
それをこなして疲れてまた働いて
それを緩めようとゆっくり過ごした日の夜に
ぐわーっと悲しさが込み上げてきて
決め切る決断を今日もしないまま
目を開けば明日が始まっている
自分を幸せにすることに
努めているように見えて、
実はすごく逃げている
みんな幸せになりたいはずなのに、
なんでそれをする気が起きないんだろうね
これから先、
嫌われたくない人に嫌われることも
あるかもしれない
でもそんな自分を許そう
仕方ないよって
それがあなたなんだから、
そのままでいいんだよって
自分のことを認めるのは
いつだって自分なんだ

sun☀️
何度言っても直してくれない職場の人がいて。
私の作業が増えるのを知った上で
未修正で提出してくる!!!
そんな細かいこと気にするなと
大人ぶる自分がいたけど、
そっちの方が嘘だ。
どんな感情もあっていいなら
ムカついたり悪口言ってもいいのだ!
朝起きて、そういやこの機に
全体に向けてアナウンスしようと閃いて
ばーっとメール文章を打った
失礼そうな文章を最初は打った
でもトゲトゲした気持ちをそのまま
発信するのは嫌だなと思って一旦朝風呂に。
そのあとお風呂で、
一言上司の許可をとろうかなとか
既にルールを守ってくれてる人には
お礼を言いたいなみたいな気持ちになってきた。
こうしてみると怒りはエネルギーだ。
うまく使うか下手に使うか次第で
怒り自体に良い悪いの判断はない。
私は上手く使いたいから、
お風呂で考えたことをこの後反映して、
でもこの先私の手前は減って欲しいから
ちゃんと発信という行動に落とすつもりだ。
この怒りは雑に扱われたことへの怒り。
あって当然なのだ!!
それをこうしてきちんと対処できる私
とっても素敵✨🌈
今日もお仕事がんばろう!

sun☀️
部屋の掃除とレイアウト変更頑張った🔥
この2ヶ月はたくさん働いたので、
来月は丁寧な暮らしをしたい!
家で暖かいものを飲んだり、
ゆで卵やブロッコリーを食べたり、
味噌汁を気軽に作って食べるような
生活にしていきたいな
芝生みたいなカーペットも今干してる
ひくのが楽しみだ!

sun☀️
夢への大きなストッパーになっている
大人しくしていたほうが
安心してもらえる
灯台下暗し
小さな幸せ
足るを知る
これも当たり前じゃないんだと
小さなことにフォーカスすることで
自分の野望的なものに蓋をしている今
同僚が私の好きなことだと知らず
とある話題を否定していた
私はそれを聞いて
その同僚はきっと本当は興味はあるけど
そんな自分は周囲から見たらヤバいだろうと
一生懸命否定しようとしてるんだろうな、
と思った
そんな風に見ていたけど、
私の心の中にあるものを彼女もまた
見せてくれていたのだろうな。
悠然と構えているように
振る舞ってはいても
心の奥では
大きな恐怖感があるんだ
表に出せていないだけ
私の方がもしかしたら重症なのかもしれない
挑戦、という言葉を聞いた時
少しだけまだ抵抗を感じる自分がいる
でも、
川の流れに乗せて
流れていくボートに
行きたい方向に少しだけ、
漕ぐやつに角度をつけておく、
くらいはしておきたいなと思う
変な人だと思われるのが怖い
って感情から逃げてきたんだ
結果を出せば、こんな私でも
認めてもらえるんじゃないかと思って
頑張ったけど、
自分で自分を
認めきれていないから
自分のことを信じきれなかったから
相手のことも信じきれずに挫折した
ネガティヴを強みに変える力は
クリエイティブらしい
重度な障害のある子が
才能に溢れた素晴らしい絵を描いたり、
自身が鍵っ子で寂しい思いをした人が
大人になってそういう子の為の
居場所を開いたり
私にもきっと
そんな血が流れているなとは思う
クリエイティブに必要なのは
軽やかさ
こうしなきゃいけない、という型に
抵抗があって動けないんだ
だったら内から出るものを見つけたらいい
私の中からは一体何が出てくるのだろう??
それにもっと自信を持っていいんだよ
さぁ、本当はどうしたい?
…と自問したら
案外今で満足っていうか
アップアップだぁと浮かんだ
そっか、思った以上に
いま大変だったんだね
そのまま、
そのままでいこか。
一旦ね☺️

sun☀️
怒っている人は
自分も上司を話によっては一部でも
受け入れようという心構えはあるのだろうか
上司なのだから部下の意見に耳を傾けるべきだ
という考え方は
部下なのだから上司の言うことを聞くべきだ
と全く同じ構造
そう、結局は一人相撲同士が
ぶつかっているだけに過ぎない
こちらの言い分を押し付けている限り
相手も相手の言い分を押し付けてくる
他人は変えられない
変えられるのはいつも自分
それならば、思い切って
その土俵を降りてみたらいい
そのためにはまず自分の気持ちに気付くこと
実はあなたの気持ちを一番に
否定しているのはあなた
そこに上司が重なって見えているだけ
まずは自分で自分を許す
沢山言い訳していいんよ
脳内の声なんて誰にも聞こえないのだから
遠慮なんてしなくていい
そうしてはじめて
自分の気持ちに寄り添えるようになった時
相手のことも冷静に見れるようになる
そしたら
もう相手にどうにしかしてもらおうという
気持ち自体がなくなってきて
ただの違いだったんだなと
事実がそのまま分かってくるし、
じゃあ仕方ないから
私が大人になってやるか笑
という余裕が生まれる
シンプルにカッコいいよね!そういう人
実年齢なんて全然関係ない
これは妥協した優しさじゃない
自分の為の優しさのお裾分け
そのお裾分けを素直に受け取れる上司なら
できた人だなと思うけど、
これを素直に受け取れる人は
ほぼいないと思う笑
人は自分の意思じゃないと
変わらないからね
だから結果受け取ってもらえたかどうかは
全然関係なくて、
あなたが勇気を出して伝えたことに
大きな価値がある
そうやって人付き合いしていったら
そんな愛に溢れた自分が
もっともっと好きになっていくよ😉

sun☀️
いわゆる天使と悪魔というやつだ
天使な私は
嫌われれものな彼に寄り添い
無条件に優しさを振りまこうとする
一方で悪魔な私は
不器用なお前が悪い、
いつまでもくよくよして悩んでいやがれと
彼を嘲笑い、冷たく突き放す
あまりに乖離したこの感情はなんだ
頼りない、情けない、子どもじみている。
そんな人を見ると湧いてくる怒り、嫌悪感は
いったいどこからくるのだろうか
初めてお付き合いした人に言われた
いつでも私を助けてみたいな態度が
ムカつくと
そういえばこの前職場でも似たこと言われたな
すぐ諦めて他の人に頼る癖があるねって
私は弱い
おそらくそれが強いコンプレックスなんだ
椎名林檎が好きなのは
強い女に憧れるから
誰かに助けて貰わないと、
私1人では何もできないと
心のどこか奥深くで思っている
だから女々しい男の人を見ると
強い嫌悪感がでるんだ
繊細な人を見ると
めんどくさいなと思ってしまうんだ
全部自分のことなんだ
弱い自分でいいよ
無力な自分でいいよ
それで、いいんだよ
と唱えてひとまず今夜は寝ることにする。
おやすみなさい🌙

sun☀️
建前で行きたいなぁとか言いながら
決して行くよとは言わないタイプの人がいると
正直傷つく。
でもさ
傷つくってことはつまり、
来て欲しいなと素直に思ってるからだよね。
その人にもさ。
そう思うと、私って健気だなぁ笑
短気な私も可愛いじゃんね。
今日週末だしそりゃ疲れも溜まるよね。
当たり前体操じゃん〜
今日も仕事大変だったね。
よく頑張った!えらい!!お疲れ様😉✨

sun☀️
会議で話すのが苦手な人がいるから
話したい人が話せる時間がとれるし、
裏方ばかり頑張ってしまう人がいるから
ふらりと気軽に参加できる人がいる
苦手な仕事がある人がいるから、
それが得意な人が輝く場が出来る
だから、苦手ならそのままでも
あなたは十分役に立っているし、
逆に無理して頑張っているなら
その逆も気軽に体験してみたらいいね
そしたら与える喜びを別の誰かに
体験させてあげることが出来るから🌱

sun☀️
報告をいちいち電話してくる人がいる。
今朝少しだけイラっとした。
その人は長電話したがりなおじいちゃんで
人によっては迷惑に感じているみたい。
私も余裕がある時はそれくらい
付き合ってあげていいじゃんと思う方なんだけど
今朝はイラっとした。
電車に乗って考えていたらふと気付いた。
あ、もしかして彼は
無駄とか非合理の象徴なのかな。
自身に心に余裕があるのかないのかを
教えてくれるバロメータ的な存在とも
言えるのではないか😂
合理、効率だけ突き詰めた世界は
確かに快適さもあるけど
息苦しさもある。
男性って言葉数か少ない人が多いから
色々意見を言える人ってむしろ珍しいよな。
とりあえず私はダラダラ出勤してたつもり
だったけど、
頭で思ってるよりは余裕がなかったみたい。
そんなときはゆっくり深呼吸なのだ。
教えてくれてありがとう!〇〇さん!

sun☀️
退職してからはじめての部活動があった。
いつもワイワイしながら体育館に
向かっていたけど、
今日は1人で向かった。
寂しかった。
すごく。
程よい距離感の人たちとワイワイする
のも好きなんだけど、
やっぱり心が開けるレベルの人が
1人もいない場はとても心細い。
いつもよりも大人しい私。
そのテンションを引きずったまま、
残業していた親しい同僚にも
一声もかけられないまま帰ってきた。
お疲れさまって言わず帰ってしまって
ごめんね。お仕事頑張ってね。お疲れさま。

sun☀️
仕事が出来ない人を見るとイラつくとか
いつもあの人は私の話を聞いてくれないなど
他人に対して強い怒りを抱えている人は、
自分に向けられた優しさを
全く受け取っていないし、
相手が自分の為にしてくれたことなんて
1ミリも考えにない。
自分以外にも同じ意見の人がいて
感じる安心は
ひっくり返せば
同じ意見の人が1人もいなければ
不安まっしぐらということ。
その世界観で居続ける限り、
心からの安心は永遠にやってこない。
自分が自分の意見を蔑ろにしているから、
相手から蔑ろにされているように感じる。
でもそこに頭では気付いていても
見て見ぬふりをするのが人間の性であって。
それに気付かないまま
一生を終える人も多くいるけれど、
個人的にはそういう人を見ると
なんだかもどかしい気持ちになる。
何かを足し算しなくても
あなたは既に愛されているし、
存在しているだけで尊い存在なんだから。
嫌いな人の悪口は、
自分の嫌いなところを見せてくる人だったり、
自分に許してあげていないことを
自由にやっている人へのただの嫉妬だという。
そんなものに振り回されて
目の前にある小さな幸せを見落とすのは
とてもとてももったいない。
必要なのは許し。
誰もわるくない。
ただそこに“違い”があっただけ。
本質はシンプルなんだ。
そこにこびりついた“解釈”が
人を苦しくさせる。
そこを整えていけばいい。
人生いつからでもどこからでも
やり直し放題なんだ。
本当に、
自分の意識次第なんだってこと!
だから、安心してね。
闇も光も全ては愛だから。
てなわけで!
明日も軽やかに生きていきましょう♪

sun☀️
実はあの時の(私)さんの言葉で
結構傷ついたんだ、という話があった。
でも、私に悪意がないことは相手も
分かっていてくれていて、
その上でその気持ちを打ち明けてくれた。
私はそれを聞いて、ごめんなさいと伝えた。
私の伝え方があまり良くなかった
可能性がまずあったのかもしれない。
ただ、素直に打ち明けてもらえている
状況を考えると、おそらく考え方の違いに
よるショックが特に大きかったんだと思う。
だから反省しなきゃとは
今回については思わないけど、
それでもきちんと謝るのは、
相手との関係性を今後も大切に
したいから。
意図的では無かったとしても、
ごめんなさいという言葉は
負けを認めるってことじゃなくて
相手への理解の言葉になると思うから。
その後、
こんな話が職場で出来るのは(私)さん
くらいだよと言ってもらえて正直嬉しかった。
私もこんな内的な話を
そのまま聞いてくれて、
自己開示してくれる同僚と
同じ職場になれて幸せだ。
今日もありがとう。
お疲れさまでした☺️

sun☀️
これまではその機会が
早ければ早いほど良いと
思っていたし、
素直にアドバイスを聞き入れて
軽やかに生き方をシフトしていける人が
ぐずぐずぐるぐる迷宮入りしちゃう人よりも
偉いだとか、すごいんだと思ってた。
でも、いい/悪いが無いように、
早い/遅いもどうやら無いらしい。
抵抗したいなら、そうしたらいい。
ただそれだけだったみたいだ。
私の本当の師匠だったら、
(今は)変われない人を
蔑む言い方は絶対にしない。
今君はそう思ってるんだね、って
否定も肯定もしない。
でも君が望むのならば、
全力で僕は力になりたいと思っているよ。
きっとそう言ってくれる。
そんなイズムを彼から私は受け取った。
私もそんな太陽でありたい☀️

sun☀️
新人だった頃は自己肯定感が低すぎて
泣きながら土日に書いてたっけ。
その後完璧主義を手放そうと思って
出来なかった、やらなかったを
そのまま正直に書くチャレンジをしたら
案外怒られなかったり、
逆にすごく適当にやったのに
かなり良い評価をもらえた時があって、
評価と自分の頑張り度合いって
関係ないんだなということが分かった。
そして最近目標設定シートが大の苦手
な同僚に対して、
そんなに苦しい思いをしてまで
完璧に書こうとしなくても
大丈夫だと思いますよ〜
みたいな事を伝えたけど、
そうだよねぇ〜と口では言いつつ、
シートの編集を止めない同僚。
は、そうか。
正しいとか正しくないが本当にある
世界ならば、
誰もがありのままで
存在していていいのならば、
うんうんと唸りながら書くのも
別に良かったんだな、
と気付いた。
苦しむ、という経験を
味わっているんだ。
それ自体も全然ありだったんだ。
もうひとつの気付き。
みんな、自分が頑張ったことを
ノーカウントしすぎ!
という私も80点くらいつけて良さそうな
ことを2点だと思ってた位には
ストイックだったから、
いま現在も学び中なんだけど。
私はやったことメモを
この上期はつけてみた。
だから目標設定シートもそれを
書けばほぼ大丈夫だった。
自分が当たり前だと
思っていたことだけど、
じゃあ他の〇〇さんは同じ事やろうと
するかな?とか出来るのかな?と思うと、
おそらくやらないだろうなという
ことが色々浮かんできて、
私の経験だからこそ出来たことも
後から沢山自然と浮かんでくる。
あれだけ嫌いだった目標設定シートは、
私にとって自分に課したハードルを
ぶち壊すチャレンジの場にもなったし、
他人からの評価と自分の評価を
切り分ける視点も得られたし、
ちゃんと頑張ったことを
ノーカウントにせず、
言葉にしてあげる力も鍛えてもらった。
そう考えたら優しさでいっぱいな
シートだったんだなと思った。
もちろん、色々実績を足すのは簡単だけど
引くのが今度は難しい。
だから決して書くのが楽になったかと
言われるとそうじゃない。
でも確実に多くの気付きをくれる。
来年もまた新しい気付きが
あるのだろうと思った✌️

sun☀️
ふとポッケに突っ込んでいた手を
危ないよなと思って手をポッケから出した。
そのときふと
ポケットに手を入れるのは
危ないからやめなさいと注意してきた
中学の時嫌いだった部活の先生を思い出した。
大人になった今でも
意外と日々の生活に関わっていたんだなと
思った。
ありがとう、キノコ

sun☀️
from 優雅なペガサスの人