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以前グレーのパーカーを持っていたが、ヘビロテしたせいで擦り切れて、仕方なく代わりに買った1着だ。
ただ、前のパーカーより白っぽいもので、遠くから見たら白いパーカーに見える。それでいて近くで見たら灰色のパーカーに見える。
目を凝らして見ると、パーカーを構成する繊維の大半が白で、ところどころに黒い繊維が散在している。
灰色のパーカーと思って買ったのに、実際は白と微量の黒のグラデーションで遠目にはこれが混じり合って灰色だったわけだ。
それが自分のようだと思った。
見ず知らずの他人から見て、自分は無垢な人間に見えるらしい。
近しい友人からは案外毒舌なんだねと言われた。
自分を客観視すると、自分の中に白い部分と黒い部分があって場合によって表出するものが切り替わるように思う。
これもグラデーションだ。人は純粋無垢とか毒舌とか、レッテルを貼ることでさも人が一色に染まっているように捉える。でも実際は白黒が混じり合った灰色ではなく白い部分と黒い部分がそのまま存在しているわけだ。
ただの代替品として買ったけど、気に入ってしまった。

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なんというか、主人公、ヒロインが共に女性から見た理想の男性像、男性から見た理想の女性像になっているような。こちらはそんな超人どもの営む甘々な生活を見せられているような、そんな感じがする。
女性向けの、女性がスパダリに甘やかされる話を男の僕が読んでいる時のような、作中の男性像と自分が乖離しているから、側から眺めるようにしか読めないというか。
普通のラブコメならちゃんとコメディーしてるから、なんならコメディー要素の方が強いものが多いから、別に共感できなくても面白いけど、この話は恋愛のモヤモヤしている部分というか、男女の心の間合いを測る様子をうまく言葉にして描いているから、なんならコメディー要素はゼロで純愛100%なんじゃないかってくらいだから、ストーリーの展開を眺めているだけだとつまらない。
情景描写はすごく綺麗だし、言葉遣いもいいんだけどね。

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投票しなければ、そもそも存在しないものとして扱われるけど、無効票なら政治に関心はあるけど、候補者に興味が無いっていう意思表示になる。
今まで候補者の誰を選んでも同じなように見えてたから周りの流れに合わせて選ぶか、選挙に行かなかったけど、そもそも選びませんっていう意思表示だけする選択肢もありだな、って
だいたい、〇〇しますって公約にあっても、それを実現するための計画がわからないんじゃ信用できないし。口先三寸で期待だけさせておいて何も変わらないってのが、選ぶ身としては一番堪えるからなあ。

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ストーリー性に縛られているというか。
世界を分けてもわからないってのは物事を細かく分けても、その関係性に着目しないと物事が正しく捉えられないって話だった。だから、だから第三者視点から見て、物事についてのストーリーを立てる、とも言える。
楽園の楽園で、人は記号が動く様子からでもストーリーを立ててしまうと述べられていたように、人は細かい物事の動きに着目して、それをストーリーに仕立ててしまう。
物事の関係性≒ストーリー
ストーリーを立てること自体は悪いことじゃない。ストーリーを立てることで人は物事を理解しやすくなる。というか、ストーリーを立てて物事を考えなければ、人の頭は物事を理解できない?
AIであれば、たとえばチャットGPTであれば文章中に出てくる単語の種類やその頻度で文章を理解するらしい。
同様に、ストーリーを立てることが人が物事を理解するやり方だと。
だからこそ、人はストーリー性に縛られ続けるし、抜け出せないような。
これを不自由と感じる自分がいる。

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日本の風習の中ではチョコに限定されているだけで。

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例えば、硬いダイアモンドは炭素原子に分けて考えられる。これは石炭や鉛筆の芯も同じく炭素原子でできているわけだが、石炭や鉛筆がダイアモンドのように硬いかというとそうではない。
ダイアモンドのもつ硬さは炭素原子同士の関係性によるものだからだ。

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同様に肉体労働をする人はその肉体を使うとこでしか社会から評価されないのだろうか。
まあ、社会からすれば、決まったフレームワークをこなせる人材が欲しいわけで、求めるのはフレームワークをこなせることだけ。それ以上でもそれ以下でもない。
でも、頭を使う仕事をしている人の肉体は価値がないのだろうか。肉体労働している人の思考に価値はないのだろうか。
どちらか片方だけってつらい。

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いつかは追いつかれる日が来るのだろう。期待に応えられなくなる日が来る。
期待に応えることはその日を先延ばしにしているだけだ。

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ノーコストの割によく効く。

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それで焦る自分も悪いんだろうか。
どうも調子が狂う。

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そもそも選択肢になければ答えようがない

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これは正しいと思うけど、だからって他人の期待に全て応えるのはよくないと思う。
最低限の義務だけ果たして自由に生きたい

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誰もが与えられた役割を演じているのだとしたら、僕は舞台をめちゃくちゃにしてしまったことがあるんじゃないか?

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文字は読めないけど写真に映る人々はみんな笑顔だった。
隣にあった日本の新聞は誰かが謝罪している写真が一面の記事だった。
これが言論統制の結果だと知っていても、笑顔のある新聞の方に惹かれる。
いつから新聞に笑顔がなくなったんだろう。

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その理由の一つは、美人が雨に濡れようが不細工が雨に濡れようが、平等に雨でずぶ濡れになった人として扱われるから。
なんて、今とってつけた理由だけど。

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力があるから人がやりたがらないこともできるんじゃなくて、人がやりたがらないことも嫌がらずやってきたから力がついただけなのに。
誰だってはじめは非力なのに。

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先日見た花火は綺麗で儚くてでも迫力はあってすごく良かったし、これを戦争の真っ只中で打ち上げて両者の度肝を抜いてやれば争う気も起きなくなったりしないだろうか。

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毎日が楽しいというわけではない

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使い勝手の悪いチャット機能があったんだけど、定型文で感情や意思を伝えようと四苦八苦するのがなんだかんだ楽しかった。

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スプーンで抉って食べるのが豪快で個人的に好き

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やりずらい。

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腹が鳴るなり
腹下し

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そう思うように小さい頃から刷り込まれているんだよなぁ。
こんなの呪いだ。

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それに従って生きてられたら楽だろうに

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よくある恋愛ストーリーは三角関係になったあと二つの頂点が結ばれて、残った一つは潔く退場する。だからいい。
でも諦めきれなかったら、三角関係を続けてしまったら、意中の相手を思う熱情は高まってしまう。三角関係とはそういう仕組みになっている。
その末路は思いが高まり過ぎて爆発するんだろう。
二次元のように三角関係の敗者が潔く諦めることは三次元じゃ当たり前じゃない。

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今年は蒸し暑いから観覧しにくそうだよなあ。

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今日からGRAVITYはじめました!よろしくお願いします!😊