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それっぽい変化球を投げるためのアカウント ストレートが来たら曲げろ落とせと突っ込んでください 基本、思ったのと違う球が飛んできます 100万ポイント貯めたら引退するのでそれまで 誰かの役に立つ投稿をがんばります
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『やりたいことは見つからない』

「やりたいことが見つかりません」
よく、就活生とかから聞くことがある

こういう時に
「自己分析をしてみましょう」
と、小銭稼ぎなり承認欲求を満たしている輩もいるが
このアプローチはだいたい気休めにしかならない

インドに旅行に行って
「人生観が変わりました」
というテンプレな感想を言うのも気休めでしかない

そもそも冒頭のようなことを言う人は
そこそこの年齢になるまで
「自分のやりたいことに全力で取り組んだ」
という人生経験がない

親や先生、周囲の友人の言うことや噂話を聞いて
なんとなく生きてきただけの人生なのだ

そういう人が突然
「自分のやりたいことは?」
と問うてる構図自体が最初から無理ゲーなのだ


これまでの人生において内発的、自発的に
「これがやりたい」
「こんなふうになりたい」
という強い動機をもって
全身全霊で物事に取り組んだという経験がなければ
最初に手をつけるべきはリハビリである

「やりたいことに全力投球するとはどういうことなのか?」
をよく理解する必要がある

やりたいことに人生をかけて取り組んでいる人を
身近で観察し、それこそ体感するのが良い

そういうわけで
「やりたいことが見つかりません」
という人への回答は
「やりたいことに全力で取り組んでいる人の手伝いを全力でやりましょう」
になる


一生は有限だ

時間は常に流れる


特にやりたいこともなければ、
なりたい自分も描けていないのであれば
まずは身近な挑戦者を全力で支援しよう

全力で物事に取り組めば
自分の能力的な成長もあるので
何か始める段になった時
自分自身の能力がその一助になる


会社や上司の愚痴
家族や友人への悪口を言っている暇があるならば
自分が知る範囲で良いから最高の挑戦者の支援をする

そうしていく中で
「やりたいことに夢中になるとは」
ということもビシバシ感じることができるだろう

特に創業者がいるような会社なんかは
同僚はさておき
創業者がどんな自己実現を目指しているのか
どんな夢や野望を持っているのか
ちゃんと観察、体感したほうが良い

会社が未熟だと愚痴っているのは本当に命の無駄遣いだ


夢を持ち、夢を追う
ということも
こうして分解すれば
能力でありスキルの話なのだ

決して
運や才能、センスだけの問題ではない
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『信じるとは疑うこと』

これに関する誤解もこの場ではFAQ感がある
この話は真理なのでわざわざ書くのもどうかと思うが
「自分が何をしているのか分からない」

リスクの本質だということで
グダグダと悩んでいるそこのあなたのために書く


信じるという概念は誤解されていることが多いようだが
疑うというのと同じであって1つの概念だ

というのが
我々は疑いの余地がゼロの物事は
「信じる」ことができず
「知っている」という

「あなたのことを信じている」

「あなたのことを疑っている」
と、言ってる意味は同じなのだが
これが同じに見えないのが
「自分の心の行いが正しく理解できてない」
という、とてもリスキーな状態だ


全てのことを完全に知って生きることは不可能だ

そうなると
(完全には分からないけど)何かを信じて(=疑って)意思決定しながら生きていく

これが我々の生き様だ

なので
「この人のこと信じて良いのでしょうか?」
と言われても
「知らんがな」
が正解で

この「知らんがな」は、

「あなた、自分が知らないことを棚に上げて意思決定しようとしてますよ」

「あなたがその人のことを知らんので、そんな質問をしてるんですよ」

という意味だ


なので、
知らないことは信じるしかない
知るための行為をしないのであればただの博打でしかない


悩むなら正確に自分を知ると
もう少し
生きやすくなると思います

そこのあなた!
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『お気持と事実を分ける』

日本はウェットな社会だと言われる

海に囲まれて湿度が高いからだろうか

加えて、議論が苦手な社会だとも言われる

意見の異なる者だと分かると
一緒にごはんを食べたり飲みに行くのを避けたりする

これは個人単位で行う人間らしい差別主義的な行動だ

ホモ・サピエンスは知力でも体力でも勝るネアンデルタール人を襲撃して撲滅したという歴史があると言われる

加えて、ネアンデルタール人は平和主義、ホモ・サピエンスは好戦的だったとも言われている

なので、人間は元々、差別的な行動をしがちではある

また、アフリカから移動したホモ・サピエンスが最後にたどり着いたのが極東だと言われる

ある社会で王道、主役、リア充側にいたら逃げる必要はない

その意味では、日本という社会は逃避行を続けたホモ・サピエンスの終着点とも言える

「最も逃げ回ってきた人たち」なので、ビビりで不安を抱きがちなのも分かる

議論からも思考からも逃げたいのかも知れない

地理的に逃げ回ってきた歴史が、モノの見方に影響しているかもしれない

近年のホモ・サピエンスは
移動手段や交信手段の発達で
地理的な逃避が無効化されている

挙句、資本主義の発明によって
鎖国しない限りは世界中が同じようなルールでの生存競争に参加している

交易、取引を前提とする現代において、
議論ができる能力というのは、
生存競争の観点から必要になっている


議論で大事なことに
「感情と事実を区別する」
というポイントがある

これは大学受験の時に真面目に小論文を学べば当たり前だし
大学に入ってまともな論文を書くのには必須だ

快・不快
好き・嫌い

善・悪
とイコールになってるのが議論に不向きな頭の使い方だ

快・不快
好き・嫌い

善・悪
の間に
「社会性と論理」
というフィルターを挟むことが、議論に耐えうる頭の使い方だ

字数の都合で詳しくは書けないが、議論に不向きな頭の使い方は「カワイイ文化」を支えているので時には価値が出ることもある

しかし、今日の話で大事なことは
「それも価値のひとつ」
と、お気持ちのままに没入せず、事実を事実として認識することだ

お気持はお気持
事実は事実
別モノなのである
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『優しい人が好きという話』

例えばフットサルなんかで初めましてな人がちょこちょこいるような時に
「この後飲みに行きましょう」
みたいな場合、話題の流れはだいたいテンプレだ

まずは共通項の多そうな話題で
フットサルならばサッカーの話とかになって
その後は「好きなタイプ」とかになる

その場の最大公約数の趣味の話から
最大限発言しやすそうな切り口の人間関係の話

こういう原則で捉えると会話に取り残される人は少ないから
ある意味、必然の流れだ

さて、
「好きなタイプは?」
という話になると、最大派閥は
「優しい人」
という答えになる
これは毎回聞くので、かなり退屈な回答かもしれない

しかし本当はもっと掘るべき話だ

余談だが、最大公約数の人に
「優しい人だなぁ」
と思ってもらうための行為は決まっている

"LOVE理論"という本に載っている
"上っ面カインドネス"を習慣化しておけば
優しさについて真面目に考察していない
90%くらいの人からは間違いなく
「とても優しい人」と思われる

大多数の人に優しいと思われるのは
知識と技術と習慣だ

才能も性格も「優しさ」も関係ない


話を戻して

「優しさ」を考えると

「その人にとっての優しさとは何か?」

が、実は無自覚であることが多い


そこでよく用意する補助線が
「魚を与える人を優しいと感じるか」
「魚の獲り方を教える人を優しいと感じるか」
これを実体験に照らし合わせて確認する

この2つは裏から言い換えれば
「その場限りのことしか考えてない刹那主義」
「結局、バカでもありがたがる分かりやすいものは与えないケチ」
とも言える

つまり「優しさ」というのはそれを感じる人が
どういう時間軸で物事を捉えているか?
によって中身が真逆になるくらい異なる

ということで
「優しい人が好き」
という人をみたら
「定番の答えだ」
と退屈せずに

私のように性格が良くない人は

「あー、この人は自分と頭の良さが同じくらいの人を好きだと言ってるなぁ。この人はどのくらい物事を考える人なのか?」

と観察したら良いし

興味のある相手が言っていたら
「この人は何を優しいと感じる人なのか?実体験で確認してみよう」

と掘り下げていけば

「優しい人が好き」

という退屈な回答が味わい深くなる
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『良い人と嫌な人』

よく
この人は好きだとか
この人は嫌いだとか

それによって接し方を変えるという話がある


これは実は人間が持つ
「差別の心」の
最も日常的で
最も原罪意識の抜けた姿だろう


この背景には
「良い人というのはこういう人」
「好きな人はこんな特徴」

何らかの規範意識を
他人に押し付けている側面がある


結果、
その規範から逸脱している人を見た時に
「嫌な人」
「嫌いな人」
となる

しかし実際には
勝手に差別意識を振り撒いているに過ぎないし

もっと絶望的なことは
自分の規範が正しくて
そこから外れている人間のほうが悪いとさえ思ってしまっていて
尚且つ、それが無意識であることだ


このものの見方にはもうひとつ特徴がある

それは
人間を固定不変の存在にしがちということだ

つまり
最初に好きとか嫌いというレッテルを貼った時が
その人がどんな人間かを決めた時で
人間が変化する存在であるという真理を無視している

真理を無視しているのでこれは迷信なのだが
こうやって今日も
人は誰かにとって無意識かつ無邪気な
差別者でありいじめっ子になっているのだ


好き嫌いだとか
カエル化現象とか
そんな話を聞くと
あなたは
いったいどれだけ独善的で
いったいどれだけ差別主義者なんだい?
とツッコミたくなってくる


完璧に良い人とか
絶対的に嫌うべき人
なんてものはいなくて
ある人にはこんな良いところがあるし
こんな悪いところがあるよね
というくらいの話だ


しかも良いか悪いかは得てして
自分の都合で決まる

所詮はそんなものであって

好き嫌いというレッテルで
他人を断罪することに
もう少し人々の意識が向くと
世の中はもう少し幸せになるような気がする


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『手段の目的化』

日本はオタク文化が進んでいると言われる

実際、オタク性とは何か?から
日本のオタク性を振り返ると
ずいぶんと歴史は古い

オタク性の本質は
「手段の目的化」
である

例えば、茶道は
「美味しいお茶を作る」
という目的をずいぶんと逸脱して
「いかに淹れ方がイケてるか」
「より宇宙と繋がるには?」
という手段の目的化が起きている

近年の労働者を見ても
ゾンビ企業を退職しないでブラック労働、
お金に振り回されていながらも
ローンの組める雇われが身分的に正義なので
独立起業の準備すら考えない。

結果、生産性も経済成長率も低いけれど
全部政府のせいだと問題を棚上げしながら
みんなでゆるやかに貧乏になりながら
ラーメン1,000円は高いと騒ぐのも
オタク性の極みだ。


もっと狭い範囲で見れば
ベテランアニメーターが難しいページを引き受けるのも
個人の経済合理性からすると間違っているが
それによって他国で出てこないような質の作画になるという現象もある


昨晩、食事の時、
色々と拗らせたり
悩んだり
という人についての話題があった


ダイエットも
整形も
肉体改造も
心理学にハマるのも
かまってちゃんも
聞けば悩みは色々とあるが
最も重要な課題に換言するならば
「モテないこと」
がその正体であって
殆どの悩みは
「モテる人間になれば解決だよね」
という結論になった


これは確かにそうで
ズルズルと悩んでいる人は
「根本原因を認めたくない」が先にくるので
別の課題解決
すなわち
手段の目的化をするが
悩みの大部分は本当は
「モテる人間になる方法」
が理解できれば解決だ


じゃあどうしたらモテるのか?
についても結論は出ていて
ここでは以前の投稿で載せておいたので端折るが
満場一致で
「noteに書いて5,000円くらいで売ったほうが良い」
という評価になった

とはいえ
それで一儲けするには少しはちゃんと
マーケティング的な作業がいるよね
という話になって
それでどこまで儲かるか?
を考えるとまぁまぁ面倒だ

お金を稼ぐということも手段でしかなくて
他でまともに稼げていてそこまでお金のかかる趣味がない人間からしたら
そこから先はまた
稼ぐというオタク性の話になってしまうのだ

手段の目的化=オタク性
でモノを見ると多くのことがシンプルに見えてくる
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『人材育成の難しさ』

智慧とは何か?

ひと言で言うならば

「先見性」
である

財をなす難易度に比べると
人を育てる難易度はだいぶ高い

基本的に
智慧の次元が違う者を育成するのが
人材育成である

コーチとして人を育てようと思うと
全ての時間を共有することはできないので
考え抜いた上でルールを設定して
自律性に依存する部分がある

しかしながら
智慧の土俵が異なる場合
良くてもこちらの考えていることは1割しか伝わらない

マイクロマネジメントで結果を出す方法もあるが
その結果はコーチがいなくなったらダメになるという
依存度の高い人材が出来上がる

これを育成と呼ぶかというと
管理でしかない


もちろん、ルールも完全ではないが
それが守られるかどうかもまた怪しいことがある

何十歩も先を見据えてルールを作っても
半歩先くらいしか見えない者は
無邪気にルールを反故にするし
妥協したり誤魔化したりする

根本的には
その影響が分からないことから


残念ながら
智慧や経験、才覚が異なる場合
未熟な者の手抜きや妥協、誤魔化しというのは
嫌というほど見えてしまう

それらのエラーを一つ一つ指摘するのはまた
マイクロマネジメントへの再帰になるので
これらを飲み込み
自分を誤魔化しながら
生暖かく見守り
信じて待つ
ということもまた
育成の成功には必要な忍耐になる

「お世話になりました」
と軽々しくいう者はいるが
この感性を持つ者は稀有である

この捩れこそが人材育成の最も辛いところであるが
育成すると決めた以上は
これに耐えるしかない

人を育てるということを決意したら
こういった覚悟がいる

育成される側で考えると
まず、人生においてこんな決意を自分に対してする人と出会うことはない

運が良くても一生に1人いるかどうかである

もしそういう人に会えたとしたら
いい加減にしないほうが
自分の価値を高めることができる

それが分からないから
社会的に恵まれた人は
常に1割以下である
というジレンマもまた存在する
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『探究や深掘りが刺激の維持に必要』

大人になってから
良さげな鮨屋のカウンターに座ったり
まともな蕎麦を食べたり
予約の取れないお店に行ってみたり
誰でも知ってる高級ワインを飲んだり

初めての体験は色々したと思う


そこには
「初体験の刺激」

確実にある

とはいえ
例えば
和食でも鮨でもフレンチでもイタリアンでも
それなりに行ってしまうと
「行くだけ」
はもう刺激をもたらさなくなる


これが
「飽きる」
という作用だ


「飽きている時間」
というのは
有限の一生を考えると
せっかくの命を粗末にしているようにも思える


一方で
前にもやったことをまたやる
というのは避けられないだろうし
毎日を初体験で埋めようとしたら
求めるものの刺激が膨張し過ぎて
逆に生きづらいだろう


そこで人生に飽きないコツは
経験値を上げることだ

初体験というのは文字通り「体験」なのだが
体験に対して
自分の内面であったり体験している出来事であったりを
より深く広く解釈することで
自分の体験に対する解像度が上がる

これが
単なる体験を経験へと昇華するところなのだが
この営みを続けてる限り
日常に飽きが来ない


毎日米とブロッコリーと鶏肉と水しか摂っていない人に対して
「退屈な人生だな」
と、遠巻きに言うのは簡単だが
そういう生活の中で、日々、自分や自分の体との対話を続けることは
やはり
経験値の向上というプロセスなのだろう


アフタヌーンティーの写真をSNSに上げることよりも
アフタヌーンティーの由来を調べることのほうが
人生に飽きないためには
意味のあることだとおもう

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『心地良いコミュニケーションのコツ』

「一昨日の昼ごはんは何を食べましたか?」
この質問を最初にすると
相手に対してどういうコミュニケーションをすべきかが分かります

どんな感覚に影響を受けやすいかは
個人差があります

視覚、聴覚、体感覚
どの感覚が優位かは人によって違います

よく、触ればイケる
みたいな合コンテクニックがありますが
これは間違いとは言えないですが
体感覚優位の人向けの対策です

最初の質問で何に注目するかというと
回答は何でも良くて
思い出している時の目の動きを見ます

目の動きには縦軸と横軸があります

縦軸で目がどこに移動したか?
上ならば視覚優位
真ん中は聴覚優位
下ならば体感覚優位
と分類されます

もし秒で思い出されたら
思い出すのに時間が必要な質問を重ねます

「その前の日の昼ごはんは?」等


その人にとって優位な感覚が分かったら

視覚優位→映像が浮かぶような話し方を心がける、景色の良い場所を選ぶ
聴覚優位→擬音語をつかう、音の良い場所を選ぶ
体感覚優位→自然なボディタッチ

を意識します

そうすると「なぜか分かりやすい」「何か心地良い」という状況になります

個人差はあるものの
「分からないものは敵、分からない話をする人間は悪」
という脊髄反射みたいな反応をする人は多いです
(これがネアンデルタール人撲滅から現在までの人類の差別と戦争の歴史でもあります)

また
浅い関係から深い関係に移行する時に意識したいのが
最初の質問をした時の横軸、つまり、左右の目の動きです

過去のことを思い出している時に目が左右どちらに動いたか?
例えば、右に動いた人は
右が過去、左が未来
というイメージを持っています

自分が新たに深い関係になる対象になりたい場合
未来側のポジションをとりに行きます

ざっくり言うと
過去はブレーキ、未来はアクセルです

ホテル街を歩いていて、入りたいホテルに入る時
過去側に曲がって入ろうとすると脚が止まることがあります

人は「昨日も生きていた」という過去に注目すると
変化を嫌がったりします

ということで
たった一つの質問ですが
この質問から目の動きの縦軸横軸を確認することで
その後のコミュニケーションの方針が変わってくるのです

運命は作るものであり変わるものなのです
その人が意識しようがしまいが
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『やる気スイッチはある』

やる気スイッチとか
モチベーションの源泉とか
そういう話が出ることがある

まず大前提として
プロは結果に対してモチベーションの話はしない

野球選手が
今日はモチベーションが低かったので打てませんでした
とは言わないし
サッカー選手が
やる気不足でシュートを外しました
とは言わない

とはいえ
大部分の人間はプロ意識のかけらもないような日常を送っているので
今日はやる気がないからサボっちゃおう

ダラダラしたりする

かくいう自分もさっき少し昼寝をしていたので
起きてから慌てて仕事をした次第である


さて
人間のやる気というのは
「作業興奮」
という心理作用だと言われている

どうしたら「作業興奮状態」になるかというと
作業を始めて一定時間経過したら
この状態になるそうだ

個人差もあるようだが
だいたい15分と言われる

ということは
「どうやってやる気を出すか?」
というのは最初から問いとして間違っていて

「まず15分やる」
という状態をいかに作り出すか?
が、効果的な問いである

スケジュールやタスクの詰まり具合には波があるが
自分がパツパツになった時は
1440分を15分単位のセルで管理することがある

24時間を縦軸に、横軸は15分×4の枠を作る

この枠に全ての予定を入れる

睡眠も食事も移動時間も全てだ
作業時間も15分単位で管理する


こうすると謎の高揚感とやる気が湧いてくる

見積精度が低い場合
予定がズレることもある

その場合は
見直しをして予定を更新する

なので
Excelやスプレッドシートを使ったりすると
簡単に切り貼りできるのでお勧めだ

能力や経験値を高めたり
生産性を上げるには
このメカニズムを知っておくことは有用だろう
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『お金の話』

お金の話というとメディアなんかでは
高いものや家を自慢する
とか
ろくに事業もしたことがないヒステリックな女性が節約と貯金を促したり
とか
あとはせいぜい
どんな株を買ったら良いかという話をするくらいである

もっと基本的なことが理解されていないと思う

そもそもお金というのは価値を保存、交換するために発明された道具だ

魚と山葡萄を直接交換するのは効率が悪い

一旦、お金に交換しておくことで、
価値の保存ができて、交換のタイミングがより幅広くなった

最初に自分の手元にどうやってお金が来るかというと
誰かに何かの価値を提供してその結果、手元にお金が残る

これが商売の原点であり
社会が高度化、複雑化すると、
お金を得る=給料をもらう
というイメージになりがちだがこれは木を見て森を見ずである

もっと大きく捉えたら
お金はお客様(お金を払う人)から何かの対価としてもらう
が、まず正しい世界認識だ

次に金融ということを考えてみる

金融とは「お金を融通する」ことである

で、老後資金が不安ですとかで
株を買おうとかやっているのは構造的には
「お金を融通する」
という行為だ

一方で
融通するには相手がいる
お金を融通されるのは誰か?という話だ

例えば焼肉屋という商売を始めたいとして
初期投資に1,000万円かかるとする

このお金を貯めるとなるとそこそこ時間がかかる人が多いだろう

しかし金融の仕組みを使えば
先に1,000万円というお金を手元に持ってくることができる

これが「お金を融通される人」だ

お金は
融通する人と
融通されて何かをする人
の双方がいて初めて威力を発揮する

なので、
「貯蓄から投資へ」
というからには
「事業を作ろう」
ということを同じかそれ以上に推奨しないと
お金の行き先がなくなる

そもそも100万円くらいのお金は
働いて稼いだほうが早い

「溶けても笑える100万円」
をポンポン出せない人ならば
資産運用を教える前に
事業のやり方とかお金を稼ぐ方法を教えた方が、
遥かに意味があると思う

読み書きがまともにできて
他人と会話ができるのならば
年収1,200万円くらいまでは
どんなに遅くとも5年努力すれば余裕でいける

問題はここに注目する人が少ないことだ
資産家でなければまず
「お金を融通される側」になるべきだ
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『楽しさは作るもの』

「何のために働きますか?」

就活生からのFAQだ

たぶん、欲しい答えは
「今こんな仕事をしていてそれはこんなに凄いんだよ」
とか
「あの仕事でお客様がこんなに喜んだよ」
といったお仕事の価値ややりがい、武勇伝だろう

これに変化球でど正論を返すことがたまにある

「人が何のために働くのか?」
「人は刷られた紙幣の帳尻合わせのために働かされています」

金本位制が壊れて信用創造が始まってからの社会は
経済圏にある価値の総量は刷られた紙幣の分だけ
常に膨張している

となると人が働いて何らかの価値を生み出す前に
紙幣によって「生み出すべき価値」が先に約束させられていることになる

なので、みんな
刷られた紙幣に働かされている
と言えてしまう

これはただの構造の話であるが
つまるところ
「所詮は刷られた紙幣に働かされているだけ」
なのだから「たかが仕事」とも言えるのだ

その「たかが仕事」が
常に我々に
とてつもないやりがいだとか
生き甲斐を与えてくれると考えるのは
仕事に対する過大評価だ

そんなものは自分で勝手に見つけるもので
そのためにはやりがいや楽しさを見出す
アイディア発想が必要になる

仕事に楽しそうに取り組むか
そうでないかは
この部分の個人差で決まっていて
誰にとっても楽しくてやりがいのある仕事など存在しない


楽しさを見つけるためには自分に対する質問の質にこだわった方が楽だ

「何をしている時に楽しい?」
ここで質問をやめてしまうと、
「自分にとって楽しい固定不変のこと」
があると錯覚する

これはやがてガッカリの元になる

「どうして楽しい?」
「どんなところが楽しい?」
「どうしたら楽しい?」
「何に注目したら楽しい?」

と、自分の漠然とした感情にたくさんの補助線を引くことで
「物事を楽しむ能力」
のほうを高めることができる

というわけで
語彙を増やし、通説を疑い、思考することは
楽しく生きるコツでもある
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