村(ソリッド)社会から、現代(リキッド)社会-------社会学者ジグムント・バウマンは、かつての安定した社会をソリッド社会と呼び、現代社会をリキッド社会と表現した。地域や職場や家族という強く固いコミュニティの中に、ひとつの構成要素として組み込まれ、互いに結びついて、結晶体のような強さによって安心を得ていたのがソリッド社会である。しかし、結晶だったものが、何かの作用で液体化してしまうことはある。コミュニティにおいては、内側を守ってくれていた強固な外壁や城壁が失われると、個人は結晶から液体へと変わる。それがリキッド社会である。ソリッド社会では、確かに不自由な面はあった。行動も一定の枠内という制限がある。しかし、そのかわり、進むべき安全な道が提示されていて、社会が守ってくれていた。リキッド社会では正反対に、人々は自分の裁量で動き回れる自由を得た反面、常にその選択に対して自己責任を負うことになる。それは、個人による競争社会を招き、それに伴う格差社会を生みやすくする。(本書より)