思考のレベルの違いについて。同じ時間、同じようなテキストを使ってるのになぜ20歳の人間の知性、同年代の知性にここまで差が生まれるのかということを自分なりに結論出した。結論は、しんぷるに思考の抽象度が違うってことで。俺はよく株をやってるんだけど、「今はbtcあがってるからbtc関連の株を買った方がいいよ」って言われて、「へーそうなんだ。今後上がるなら買おう」っていう人は基本勝てないだろうなってことはわかるだろうけど、優秀な人は「なぜbtcが上がるのか?上がったらどういった未来があるのか?btcって発行枚数無限じゃないよね?」いろいろ一つの物事に対して複数の視点を持っていて、それの深さが違うんよね。(いま文章書いてて思ったけど、知性=広さ×深さだなってなったわ。)もう一個具体例として、「男と女ってどっちが優秀なの?」って話で、優秀な人間は「なんでそういう考えに至ったのか?とか、どういう分野において?」とか明らかに一点で見るべきじゃないものに対して、ちゃんと別々の視点で物事を捉えられる人だなって。つまりメタ的視点を持ってる人間は優秀がちであること。メタ認知って知識がないとできないことでもあるけどねぇ。理系の分野で言えば、大学受験は難関になればなるほど、一つの問題に対して複数の回答があることは多いけど、それは当たり前でレベルが高くなると、抽象度は間違いなくあがるんよね。それに対していかに前提や定義を理解した上で、この状況ではこれが正解っていうの導き出せるかっていうこと。文系で言えば、応仁の乱ってのを一つとっても、なぜこの争いが起こったのか?発端は何か?この後に国はどうなったのか?この時代以外にも応仁の乱のような争いはあったのか?みたいなね。点を自力で線で結ぶ力みたいな。点の多さと、それを結ぶ力の多さ。広さと深さにも繋がるかな。それが思考にレベル差がある要因だなって。
言葉って発した瞬間に別のものになるんだよな。自分は話すことで整理されることが結構あって、脳内で考えてることと、空気に飛び出した言葉ってなんか意味が違う気がしてる。面接とかで今まで考えてたことを話したら、この内容を話したかったわけじゃないのにってなって、言葉を完璧に制御できてないなって思うことがある。最近は言語化することがめちゃくちゃ増えたから、そこまで脳内と吐き出した言葉に大きな相違があるわけではないけど、昔は多分考えること多かったけど吐き出すことは少なかったから、またそれでも考え方変わってたんだろうなって。言葉は生き物(まぁこれの元は、前まで使われた言葉が死後になるみたいな意味だけど、これに関しては主観でこう思う。)だなって。
人事というか社会は新卒の就活生に過度な期待をしないでほしいよな。優秀な人材欲しいのはわかるが、就活生も自分を高く見せてるし、話盛ってるし、お互い嘘つきながらセルフプロデュースしてるんだから、もうちょいラフにやっていきたい。
早いものの名前どんどん新幹線につけていこうっていう考えにイライラしてるゆるラジの堀元さんほんますき。一発目に「こだま」っていう音速つけて、2個目に「ひかり」とかいう人間が観測できるもので最速をつけちゃって、3個目諦めて「のぞみ」、最近では「はやぶさ」とかいうバカクソ遅い生き物の名前つけてることに疑問を呈してるんだけど、そもそも普通の人間これを考えないし、仮に次に新幹線につけるなら「タキオン」とかしかないじゃんみたいな。なんのはなしやこれ。
日本語学の音位転倒の話は割とおもろい。秋葉原(あきばはら→あきはばら)山茶花(さんざか→さざんか)みたいな新し(あたらし→あらたし)だから雰囲気(ふんいき→ふいんき)が辞書に載る日がくるんじゃないかみたいなね。
キモさをある程度受容することで人間は人間らしくなってくから、キモくないやつは人間じゃないと思うし、人間ならキモくて然るべき。そもそも生産性のないことに躍起になってる時点で、多分ミミズより気持ち悪い。ミミズに反論の機会を与えられないから、これは俺が悪いかもしれん。
別れる時に本性でるとかいうけど、本性を見抜けなかった側にも原因があるのでは?付き合った時点でまるっとその人のことを認めた上で、別れた後にぐちぐちいうのはださいなぁとは思いますよね!でも俺もたまに思ったりするので、あれですけど、もっとかっこいい男になりたいですね。
客観的な人間って感想文みたいな話し方になるんだよなぁ。だから相手側もこっちが論理的に話してくる(ように見えてしまう)から、一見指摘するポイントもなく、受け手側の知識量がなければそれで完結してしまうよな会話を行いがち。